<吉祥寺残日録>岡山帰省6日目、高齢者の生活ぶりを観察する #210407

歳をとると、人間は頑固になる。

長い人生を生きてきて、体に染み込んだ生活スタイルや物事の考え方を変えるのは基本的に難しい。

私の母の場合、30年以上住み続けている賃貸マンションはとても清潔に保たれていて、高価な物はないが花と写真に囲まれた快適な生活空間を築いている。

ただし、裏の一部屋に使わない荷物を詰め込み、その部屋の片付けは絶対にしようとしない。

母が亡くなった後に全部の荷物を片付けてあげると私の弟が言ったというのを盾にして、どうしてもその部屋だけには手をつけようとしないのだ。

私がやると言っても、「やめて」と母としては珍しくきっぱりと拒否するのだ。

しかし、そんな母の態度が軟化してきた。

父の衣類をチェックして、私が帰省中に着られそうな服といらない服を分けたのがきっかけだった。

とりあえず、絶対に使わないワイシャツや替ズボンをまず処分して帰ると、母はスーツ類も自分で持ち出してきて、「これももう着んじゃろ」と言うので、私は2日続けて、衣類を捨てに行ってきた。

私が訪れたのは、「えこ便 並木町店」。

金属や小型家電など幅広くリサイクルを行なっている持ち込み専用のステーションが岡山にいくつか設置されている。

古着については、母の家の近くにあるステーションでは扱っておらず、20分ほど車を走らせて南区にあるステーションまで持っていかなければならない。

ただ、ここに持ち込みさえすれば、指定された場所に放り込むだけで処分は終了する。

実に簡単で、ゴミの日を気にすることもなく捨てたいときに捨てられるのだ。

金属などは目方によってポイントがもらえるが、古着の場合はポイントはつかないという。

それだけリサイクルのニーズがないと言うことなのだろう。

午後には伯母も使わなくなった金属製の器具を捨てたいというので、「えこ便」に持ち込んだ。

高齢者にとって、物を捨てるということには大きな抵抗感がある。

しかし、30年間使わなかったものは今後も絶対に使わない。

何がそこにあるのさえ、もう覚えていないのだから・・・。

もちろん、このマンションを引き払うまで片付けをせずに放置することはできる。

しかし、時間をかけて片付けをしていくと、埋もれていた物と一緒に思い出が蘇ることもある。

それはきっと、母にとっても大切な時間になるだろうと私は考える。

今後、帰省のたびに少しずつ奥の部屋から箱を取り出し母と一緒に中身を確認しながらゆっくりと片付けをしていこうと思っている。

この日は、伯母の買い物にもつきあった。

買い物といっても週1回の生協の共同購入である。

前の週に伯母が頼んだ商品が火曜日の午前9時半に近所の家に届くため、いつもは時間までにその家に行って待っているらしいのだが、昨日は私が10時前に伯母の家に着いた時、伯母はまだ家にいた。

ちょっとして電話が鳴り私が出ると、「きょうはどうされましたか?」と生協の人の声がした。

伯母は焦ったように早足で配達先の家まで行き、私がその後をついていった。

そこには数人の人が集まっていて、「ごめんごめん」と言いながら伯母は遅刻を詫びた。

「いろんな人が出入りすると狂うてしまう」とさも私がいろんな人を連れてきたせいで時間の感覚が狂ったとでも言うように言い訳をしている。

実際に、毎日同じような生活をしている伯母にとって、この数日間は目まぐるしくて、実際に頭が混乱したのかもしれない。

伯母が生協で注文したのは、シジミと大学いもなどだった。

以前にも何度も見かけた食材なので、伯母のお気に入りなのだろう。

お昼過ぎには伯母が「魚屋さん」と呼ぶ、行商の車が伯母の家にやってきた。

私より少し年上ぐらいの女性が軽トラックの荷台に魚介類や様々な食料品を積んで高齢者の家を回っているのだ。

「魚屋さん」は伯母の家の到着すると、ブッとクラクションを鳴らして来訪を報せる。

すると、伯母はお財布を持って出かけていくのだ。

生協や公共料金は銀行引き落としにしているので、伯母が日常的にお金を使うのはこの「魚屋さん」ぐらいらしい。

「魚屋さん」はこんなお惣菜も持ってくる。

この日、伯母が買い求めたのはイカとホタテの惣菜と巻き寿司、そしてかぼちゃのコロッケだった。

この「魚屋さん」が回ってくるのが、毎週火曜と土曜の2回。

歩いて行ける範囲にはお店がないため、伯母にとっては生協と「魚屋さん」だけが食料品調達の手段なのだ。

ここで買うわずかな食料と自分で作った野菜で伯母は89歳まで生きてきた。

都会人には信じられない質素な暮らしである。

牛乳は毎日配達され、「魚屋さん」が持ってくる甘酒も伯母には欠かせない。

私が帰省した時、伯母は風邪気味だと言っていたが、少し体調が回復したらしく、この日は久し振りに洗濯もして、洗面台の周囲も少しきれいになっていた。

きっと体調が悪かったのだろう。

そこに私が訪れて、いろんな人を連れてきて、伯母は混乱した。

午後には農協の人が来て、帰省初日に手続きをした一時払い年金のお金が普通預金に振り込まれたことが記帳された通帳を持ってきてくれた。

これで今回の一連のバタバタはすべて終わった。

伯母にはまた静かな日々が戻るが、以前のように自分で何でもできる状態ではなくなってきている。

この家でいつまで暮らせるのか、模索の日々が始まる。

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