<吉祥寺残日録>岡山帰省12日目、妻の母親が倒れたとの報を受け病院に連れていく #210715

妻の電話が鳴ったのは、朝6時半ごろだっただろうか?

私たちは今日も夜明けとともに起き出して、ブドウ畑で一仕事を済ませ、ちょうど朝ごはんの準備をしていた時だった。

電話をかけてきたのは妻の弟で、岡山市内に暮らす妻の母親がベッドの脇で倒れているのを同居している父親が見つけたというのだ。

妻の母親は88歳。

92歳の父親が物音に気づいて様子を見にいき、母親がベッドの脇で横たわっているのを発見し、姫路に住む長男、すなわち妻の弟に電話をかけたらしい。

姫路で暮らす妻の弟は、頻繁に岡山に通い高齢の両親の面倒を見ているのだが、今日は私の妻が別の介護で岡山にいることを思い出し、すぐに妻に電話をかけてきた。

私たちはすぐに車に飛び乗り、妻の実家に向かった。

義母は自室のベッドに横たわり寝ていた。

妻が母親に話しかけると、頭の後ろに2つほどコブができているのに気づいたようだ。

僅かながら出血もあった。

それでも義母は、「別にどうということはない。寝ていれば治る」と大騒ぎすることを嫌がった。

義母はもう数年前からこうして時々意識を失い、転倒して骨折するなどということを繰り返している。

庭で転んだ時にも救急車を呼ぶのを嫌がり、結果的に足を骨折していて入院する羽目になった。

どこの年寄りもなかなか言うことを聞かない。

妻はかかりつけ医に電話したり、姫路の弟と相談した結果、とりあえず市内の総合病院で診てもらうということになった。

義母は足が悪いので歩行器なしでは歩けないが、それでもなんとか自力で歩いて私の車に乗り込んだ。

92歳の義父は、駆けつけてきた娘に全てを任せ、「私は行かない」と言って一人自宅に残った。

先日会った時とても元気そうな様子だった義父だが、過去にも義母が入院した際には一気に老け込んで周囲が心配するほど元気がなくなったことがあった。

2人でいるからこそ、マイペースに生活を楽しむことができるのだろう。

岡山の通勤ラッシュは意外に激しい。

今朝も病院に向かう時間がちょうど朝のラッシュアワーにぶつかり、予想以上に時間がかかってしまった。

特に市内を流れる旭川を渡る橋はどこも大渋滞で、日本三名園の一つ「後楽園」脇の鶴見橋を選んだのだがなかなか車は進まない。

それでも、義母の様子に大きな変化はなく、心配したほど重症ではないかもしれないとちょっぴり安心した。

到着したのは市内中心部にある岡山を代表する総合病院「川崎医科大学 総合医療センター」。

昔は「川崎病院」という古い病院で、私も子供の頃、盲腸の手術を受けたことがある。

その後1970年に川崎病院を母体として「川崎医科大学」を創設し、今では大学と病院を中核とする岡山有数のコングロマリットに成長した。

初めて病院の中に足を踏み入れたが、ロビーはとてもスッキリとしたデザインで、すっかり近代的な大病院に生まれ変わっていた。

妻と義母を病院まで送り届けたところで私のお役は御免となり、とりあえず伯母の家に戻って東京に帰る支度をすることにした。

溜まった洗濯物をコインランドリーで洗濯乾燥し、留守中に伯母が食べられそうな日持ちのする食材を適当に見繕って購入する。

その間、妻からLINEで経過報告が入り、義母は昼過ぎまで脳のCTや骨のMRI検査などを受けた結果、幸い大事には至らず自宅に帰ることができたとわかった。

自宅に戻った義母は疲れが出てすぐに爆睡、義父も安心したのか昼寝してしまったという。

妻からのお迎え要請が入り、妻の実家に行ってみると、家の中は恐ろしいほどシーンとしていた。

あちらもこちらも老人だらけ。

いつ何時不測の事態が発生してもおかしくはない。

しかし、ボケが進んだ老人は子供に戻ってくるようで、どことなくユーモラスで同じセリフの繰り返しばかりの会話も慣れてくれば可愛らしくもある。

いよいよ始まった本格的な介護生活。

「楽しんで」というのは無理かもしれないが、せめて「頑張りすぎない」ように頑張りたいと思う。

<ご当地グルメ>岡山「たこ福」の「岡山たこ焼 15個入」

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