<吉祥寺残日録>コロナ下で吉祥寺から岡山へ移動した #200519

吉祥寺を出発したのは、昨日の午前10時だった。

久しぶりの旅支度。

妻と2人で、岡山の実家を目指す。

緊急事態宣言が一部解除された最初の月曜日。

電車が混んでいるかも、と思って中央線ではなく各駅停車の総武線を利用した。

予想したよりは、皆さんまだ行動を自粛されているようで、電車の中は空いていた。総武線だけでなく、別のホームから出発する中央線も座席に余裕があった。

それでも都心に近づくにつれ、徐々に乗客は増えていき、神経質な妻は「途中で降りて、もっと空いている電車に乗り換えよう」と言い出す始末。私が面倒がると、少しでも空いている席を見つけて私から離れた座席に移った。

久しぶりに訪れた東京駅。

通路はガラガラ、通路沿いに並ぶ土産物屋も全部閉まっていた。

自由席の切符を買って、改札を抜けると、ちょうど博多行きののぞみが出発するところだった。

お弁当を買うのも諦めて、一番近くのドアから新幹線に飛び乗った。

12号車あたりに乗り込み、前方の自由席を目指す。

指定席はガラガラだったが、自由席は思いの外、乗客が多い。

途中の駅でも、結構な数のお客さんが乗ってきて、名古屋辺りからは3人席、2人席ともほとんど誰かが座っている状態となった。座席の半分ぐらいは埋まっている印象だ。

後から知ったのだが、5月中旬からJRは大幅に新幹線の運行本数を減らしたらしい。東京から岡山まで行くのぞみ号は1時間に1本の博多行きしかないのだそうだ。

ある意味、この新幹線に飛び乗ったのは正解だった。

コロナ危機により人の移動が大幅に減る中、航空会社はANAもJALも現在、羽田〜岡山便をすべて欠航にしている。つまり、新幹線を利用するしか岡山への移動手段はないのだ。

新幹線の中でも、神経質な妻は、「もっと空いている席を見つけて移動しよう」と私を説得した。

確かに、前の席も後ろの席にも乗客は乗っている。とは言え、3人がけの席を2人で利用しているのだから、それほどの「密」ではないと私は取り合わなかった。

気にすると、キリがないではないか・・・。

岡山駅に着いたのは、午後2時20分ごろ。

昼ごはんを食べ損なったので、岡山駅の新幹線ホームにあるといううどん屋さんで軽く食べていこうと話していたのだが、残念ながらこの店も休業中だった。

新幹線の発着がこれだけ少ないのだから、当然と言えば当然である。

仕方なく、開いていたコンビニでサンドイッチを1つ買って、西口にあるレンタカー屋さんへ・・・。

受付のカウンターには、飛沫よけの透明シートが設置されていた。

「レンタカーって、今どんな感じですか?」と聞いてみると、「一時よりは良くなりましたけど、まだ以前の10%ぐらいです」とカウンターの向こうで女性が答えた。

一番ひどい時期には、1日3組しか来なかったという。この店だけで、平日には200組ぐらいが利用していたので、いかにビジネス客が減ったかがわかる。

コロナさえなければ、私にとって今年は、旅行の年と決めていた。

正月休みはタイとニュージーランド、1月中旬には与那国島、2月にはミャンマー、3月はインドネシア、5月はインド、6月に沖縄、夏休みにはワシントンとカリブ諸国。

すべて昨年のうちに予約を済ませ、三連休以上の休みはすべて旅行に費やす予定だったのだ。

ところが、与那国島から帰った頃から雲行きが怪しくなり、武漢で新型コロナウィルスの感染爆発が始まった。それ以来、私の旅行ブログも更新されていない。

様子を見ながら、一つずつ旅行をキャンセルしていった。当初は、ゴールデンウィークぐらいから旅行もできるかなと思っていた。

ところが、時が経つにつれ、旅行会社には凄まじい数のキャンセルが殺到した。私が予約していた旅行サイトでは、通常の電話対応をやめ、キャンセルするのも一苦労になった。航空会社では、1ヶ月ごとに便の欠航を決めていくので、早めにキャンセルすると飛ばない飛行機にキャンセル料を支払う羽目になる。

あまりに、理不尽な状況・・・。

しかし、航空会社もホテルも旅行会社も、みんな経験したことのない非常事態に見舞われている。

私の今年の旅行計画は台無しになり、キャンセルに伴う損失もそれなりの金額になったが、旅行関係者の惨状に比べてばまあ大したことはない。

旅行を何よりも愛する者としては、こうした旅行関係者を応援したい気持ちもあるので、ここはぐっと我慢するしかないだろう。

ただ、ひたすら自宅にこもり、旅行できる日を心待ちにしながら・・・

妻の母親が自宅で転倒してお尻の骨を折ったのは、そんな変な日常が始まってからしばらく経った3月のことだった。

救急車で運ばれ、そのまま入院。最初はベッドに寝たきりで、その後徐々にリハビリが始まり、気がつけばすでに入院生活は2ヶ月以上続いている。

妻はすぐに手伝いに行こうと考えたが、運悪く激しい頭痛に悩まされ、そうしている間にコロナの影響で病院の見舞いも制限されるようになった。入院中の母親には会うことさえできない。自宅で一人残された義父の面倒は、姫路に住む長男が中心にみることになった。

「お母さんが退院したら、きっと家の細々したことで女手が欲しくなるだろう」

私は落ち込む妻を励ましたりした。

そして、義母の退院が決まり、ようやく妻の出番がやってきた。

こうして私たち夫婦は、新幹線で岡山までやってきたのだ。

東京から出るのは久しぶり、ちょっとした旅行気分だ。

岡山には一人暮らしをする私の母親と伯母もいる。高齢の2人の様子も心配だが、万一私たちがウィルスを東京から運ぶことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。

せっかくなので、少しでも一緒にいてあげたい気持ちを押し殺して、今回は母のマンションには泊まらず、広い妻の実家に泊めてもらうことにした。母親のところへは、毎日ちょっとずつ顔を見せるようにしたいと思っている。

親しい人との距離感にまで、心を痛めなければならない新型コロナウィルス。

本当に厄介なウィルスである。

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