84歳

今日は母親の誕生日だ。84歳になった。私と1日違いの誕生日。

お祝いの電話をかけた。いつものように明るい元気な声が返って来た。

岡山での一人暮らし。愚痴や泣き言を言わないありがたい母親だ。

妻との電話では、「一人で緊張感を持って暮らしているのが逆にいいのかも」と話していたという。

父と暮らした賃貸マンションに今も暮らす。部屋の内装や家具もほとんど当時のままだ。それでもこまめに掃除をしているらしく、いつ行っても部屋の中は綺麗だ。

使わない物が部屋にたくさんある。以前から何度も「少し捨てれば部屋を広く使えるのに」と話しているが、聞く耳を持たない。実際に大きなゴミを下まで運ぶのも大変なのだろうが、何よりも部屋の風景を変えたくないのだと思う。

仏壇に飾られた父親の遺影にいつも話しかけている(らしい)。何も変わらないことが安心なのだろう。「ままごと」のような生活。それをエンジョイしているように見える。離れて暮らす息子としては助かる。

昨日会社で、退職金に関するセミナーがあった。その中で出て来たデータが興味深かったので、母にも伝えた。

「60歳まで生きた女性の場合、ほぼ半数が90歳まで生きる。さらに4人に1人は95歳まで生きる」というデータだ。

平均寿命は80歳台でも、実際にはもっとずっと長生きするので、そのつもりで資金計画をしてくださいね、という話であった。私が以前から口癖になっている「長生きのリスク」だ。

母親は笑いながら「まだ10年以上生きないといけないじゃない」と言った。

父親が死んだ後、母はなぜか検査オタクになった。脳ドックから大腸カメラまで、あらゆる検査を毎年受けている。検査が母のスケジュールを作り、リズムを刻んでいるように見える。

基本的には年の割には、大変健康のようだ。

普段あまり外出しない母だが、検査だけはそれぞれ決めた病院に出かけていく。時には名医を訪ねて電車に乗ってわざわざ地方まで出向いたこともあった。母にとって検査は一種の娯楽なのかもしれない。

そして「健康長寿」という言葉を使う。昨日のセミナーでも女性の「健康寿命」は平均70歳台半ばで、それを過ぎ何らかの問題をかけてからも10年以上生きるのだという話を聞いた。男に比べて、すべて長い。

母と私は、思考に似たところがある。基本的に楽観的だ。だから「子供たちに頼らず自分の力でやれる間は自分で頑張る」という言葉に嘘はないと思っている。そして「いざとなったらよろしくね」と妻にはよく言うらしい。

「いざと言う時」がいつ来るのか。その時には、ちゃんとしてあげたいと思うのだ。

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84歳といえば、この人も84歳だ。

石原慎太郎元東京都知事。豊洲市場移転問題で百条委員会に呼ばれているが、その前に記者会見を開いた。

「私は座して死を待つ気はありませんから」と、いきなり啖呵を切って会見を始めた。

移転の経緯については、「そんな細かいことは現場に任せている」「私は専門家ではないので担当部局の判断を信じるしかない」「最高責任者として私にも責任はあるが、担当部局や都議会などみんなの責任だ」などと自らが住民代表訴訟のターゲットになっていることに不満をぶちまけた。

さらに専門家が豊洲は安全だと言っているのにそれを信じず、無為に移転を延期しているとして、小池知事を繰り返し批判した。まあ、いつもながら石原さんらしい。この人は84年間こうして生きて来た。こういうスタイルで一生を生きてこられるというのは、それはそれで幸せだったんだろう。

そんな石原さんでも足元はだいぶ危うくなった。年齢には誰も逆らえない。自らを常に高みに置き、周囲を馬鹿と呼び、傍若無人に振舞って来た人生の最後をどのように締めくくるのか。石原さんらしい美学を見守っていきたいと思う。

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