私はその瞬間を西川口で見た。
妻の妹の義父が亡くなり、会社帰りに西川口の駅で妻と待ち合わせ、10数年ぶりに義妹の家を訪ねた。義妹は息子を病院に連れて行くというので、待たせてもらう間、大相撲を見た。
結びの一番は、白鵬vs高安。
この取り組みには、白鵬の単独史上最多勝利がかかる。いつもながら気迫を漲らせる横綱白鵬に対し、新大関高安はここ数日、バテている印象がある。
相撲は立ち合い高安の突進を交わした横綱が、終始新大関を攻め、圧勝した。
通算1048勝。
千代の富士の1045勝を超え、ついに魁皇の1047勝を抜いた。角界のほぼ全ての記録を塗り替えた白鵬が、目標としてきた大記録を更新した瞬間だった。
白鵬翔。モンゴル・ウランバートル出身の32歳。
まだ32歳なのである。まだまだ先はある。次なるモチベーションをどこに置くのか。
白鵬は15歳で日本にやってきた。モンゴル出身の旭鷲山を頼り、6人で来日、大阪の摂津倉庫の相撲チームに所属しながら入門の機会を待った。しかし当時の白鵬は体が小さく、彼を受け入れてくれる部屋がなかなか見つからなかったという。
旭鷲山の師匠である大島親方の口利きで宮城野部屋入りがようやく決まる。宮城野部屋は当時文字通りの弱小部屋で、厳しいしきたりも少なく、白鵬はこの部屋で伸び伸びと力をつけて行った。
宮城野親方は、入門仕立ての白鵬に毎日吐くほど食べさせ牛乳を飲ませた。そうした環境の中で、父親譲りの才能が開花する。19歳1ヶ月の新入幕は、貴花田、北の湖、花田に次ぐ史上4番目の若さだった。
それにしても、いつも思うが、モンゴル人力士はみんな驚くほど日本語がうまい。ただ日本語が話せるだけでなく、表現も的確で、語彙も豊富だ。
日本人は強すぎるモンゴル人力士を時にヒール扱いすることがある。ただ、若くして異国の地にやってきて、日本人でも耐えられない古い部屋の環境に順応し、日本文化を体現している彼らの努力は賞賛に値する。もっともっと感謝すべきだろう。
大相撲の国際化。この流れはもう後戻りはできない。
異国の力士同士の取り組みを日本人が見る。今では当たり前の光景となった。外国人力士を贔屓にするファンも大勢いる。それは無意識のうちに、日本人の国際感覚を育てる一助になっていると思うのだ。
義妹家の甥たちが次々に帰宅する。末の双子は中学で野球、次男は高校でボートをやっている。久々に話すと、彼らの成長に驚く。立派なスポーツマンに育った。目がキラキラしている。大学に通う長男には会えなかったが、彼は弓道と野球をやっているらしい。この夏にはアメリカに留学するという。
若い日本人がしっかり育っている。楽しい時間だった。
孤高の横綱・白鵬は、いずれ日本に帰化し親方を目指すという。「平成の大横綱」を圧倒する力士が出てくるまで、白鵬にはまだまだ頑張ってもらいたい。
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