震災7年

あの日から7年がたった。

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午後2時46分。テレビでは各局震災番組を放送しているが、今日はリアルタイムで見ることができなかった。弟家族との会食があったためだ。

弟の長女は、大学時代からボランティアとして福島に通い、1年休学して現地で働いた。そして大学卒業後には、大企業からの内定を断って、福島県楢葉町の半官半民の会社に就職した。復興のために今も活発な活動を続けている。

私の自慢の姪だ。

3月11日の会食が決まった時、この姪は来られないだろうと思った。しかし、3.11の記念式典には出る必要がないということで、この週末東京に帰ってきた。

仕事は忙しいという。

週末に各地から訪れる視察団を案内したり、様々な土地を訪ねて講演を行ったり、少ないスタッフでてんてこ舞いだという。今年は、楢葉町に新しい商業施設がオープンする予定で、そこで行うイベントを一人で取り仕切るのだそうだ。

意外だったのは、楢葉町の住宅価格が最近ものすごく高いという話だった。

姪は、近々楢葉町の一軒家を借りてシェアハウスとして3人で共同生活を始めるという。普通のアパートが高くて借りられないからだ。このところ楢葉町には住宅メーカーによって多くの住宅やアパートが建てられているが、仕事でやってくる人が多く、家賃は普通のアパートで8万円ぐらいするという。

被災地に住民が戻らないというニュースばかり聞かされていたので、姪の話はにわかに信じられなかった。

一口に被災地と言っても、エリアによって事情はまちまちなのだろう。福島は原発事故のせいで最も復興が遅れているという印象を持っていたが、廃炉関連や研究機関など様々な施設が新設され、町外から移り住む人も多くいるようだ。

ブログをここまで書いた時、NHKニュースでちょうど福島の不動産高騰のニュースが報道された。取材した場所は楢葉町のお隣の富岡町。まさに姪が話していた通り、真新しいアパートの建設ラッシュが起き、廃炉関係者が次々に移り住んでいるという。今、このエリアが福島第一原発の廃炉作業の最前線なのだ。

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東日本大震災から7年。私たちがイメージする被災地の様子も徐々に変わりつつある。

震災直後の誰もが目を覆いたくなるような悲惨な光景は、もうほとんど残っていない。映像のインパクトがないと、どうしてもテレビの題材にはなりにくい。視聴者の関心を引くことがとても難しくなる。

7年前、メディアに関わる多くの人が誓った「伝え続ける」ことの困難さが、年とともに増大していると感じる。

果たして、私に何ができるのか?

会食の後、福島に戻る姪に、夫婦で2万円をカンパした。我が家のささやかな復興支援は姪を応援することだ。姪が今年始めようと考えている講演事業を手伝うと約束した。テレビの世界で働く私だから手伝えることもある。

そして、今年改めて変わりつつある被災地を訪ね、自分の目で足で感じたいと思った。

今年から毎年1回は被災地を訪ねたい。

それを絶対に実現しようと、7年目の「3.11」に決めた。その様子はいずれこのブログに書き残すこととしたい。

 

<参考>

「震災5年」

「震災6年」

 

 

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