桃と柿と竹

真夏日の週末。金曜日に休みをもらって、2泊3日で岡山に里帰りしてきた。

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全日空機で岡山空港へ。ゴルフ場スレスレに着陸する。

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今回の帰省も目的の一つが親の家の片付け。私の母が一人暮らしするマンションにあったもう使っていないブラウン管テレビを、近くのリサイクル業者にレンタカーで持ち込む。本当は押し入れをふさいでいる古い布団を捨てたかったのだが、岡山市の粗大ゴミ回収センターは持ち込みでも順番待ちで、数週間前に予約しないと受け付けてくれなかった。これは次回の課題として残ったが、それでも一歩前進である。まだ、物があふれて入ることもできなくなっている部屋があり、まずはスタートラインだ。

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そのまま母と妻を車に乗せて、伯母が一人暮らしをする農家へ。以前も書いた通り、私はここにわずかばかりの畑と山林を相続している。今は伯母が面倒を見てくれているのだが、たまには顔を出して、できる手伝い?を少しでもしようと思っている。

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今回は伯母から「柿の木を切ってちょうだい」と頼まれた。墓参りがてら切るべき柿の木を確認する。明朝にチェーンソーを持って切りに行こう。

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「せっかくだから桃の袋かけをやってみるか」と言われ、桃の木の植えられた畑に行く。出荷するわけでなく、自家用の桃の木が数本ある。そのうち3本は岡山の代表的な銘柄「清水白桃」だ。

木には梅の実ほどの大きさの桃の実がいくつもなっている。適度に間引いた上で、紙製の袋を一つ一つの実にかけていく。伯母の手本を見ながら初めて袋かけ作業を行った。ただ袋をかけるだけの単純な作業だが、これが難しい。

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専用の袋には真ん中に切れ目が入っていて、片方の端に針金が付いている。桃の実の下から袋をかけて、真ん中の切れ目に枝を通し、枝の上で紙袋をまとめ針金で縛るだけだ。しかし、針金が短い。髪が意外に硬くてうまく縛れない。無理やり縛って一時的には止まっているが、風が吹けば簡単に飛んでいきそうだ。手伝いにも何もならない。

この日手分けをして100枚の袋をかけたが、実はもっとたくさん付いている。近所の農家がすでに袋かけを終えていて、それを見る限り、あと3倍の袋をかける必要がありそうだ。

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畑には立派な下仁田ネギ。

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ぶどう畑では、小さな実ができ始めている。花が咲く前に、先端の房だけを残して、残りの房を手で摘む木の遠くなるような作業をしなければならない。

これを85歳の伯母が一人でこなしている。これが日本農業の現実だ。

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翌朝6時前に起き出して、お墓の周りの柿の木3本を切りに行った。

私がチェーンソーを買ったのはもう5年ほど前だろうか。竹やぶを何とかしようと思ったのが動機だった。「マイ・チェーンソー」という響きもちょっといいかなと思った。

そして毎年年末に帰省した際に竹を切った。竹は中が空洞なので簡単に切れる。初心者にはうってつけだ。木は、やはり伯母に頼まれて、古い梨の木を切ったことがあるだけだ。その時の梨は細かった。今度の柿の木は、一番太い木の根元は直径20センチ以上ある。さて、どうやって切るのだろうか。

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まずは枝から切り落とす。硬い。さすがに竹とはまったく違う。

今ネットで柿の木について調べてみると、「硬さ:硬〜超硬」と書いてあった。しかも脆く加工しにくい木なのだそうだ。そういえば、昔ゴルフで使うドライバーはパーシモンで作られている。パーシモンとは「柿の木」のことだ。硬くて反発力が強く、遠くまで球を飛ばすには向いていたのだろう。私も長年、ナイロビのゴルフ場で手に入れたパーシモンのドライバーを愛用していたことを思い出した。

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結局枝は切り落としたが、幹には歯が立たないまま、チェーンソーのエンジンがかからなくなってしまった。近くで作業していた近所のおじさんが「刃を研いだ方がいい」とアドバイスしてくれた。どうも切れないチェーンソーで作業していたので、エンジンに負担がかかったようだ。おじさんはエンジン音を聞いただけで刃の切れ味がわかるらしい。確かに、買ってから一度も刃を研いだことがない。

エンジンがかからないのでは仕事にならないので、一旦ここは撤収して、裏山に向かった。

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竹が生い茂り、太陽の光もあまり差し込まない。

私はこの荒れ放題の山林を何とか整備したいと思い、毎年年1回、竹を切る作業をしてきた。しかし、切っても切っても後から新しい竹が生えてきて、不毛な戦いを続けていたのだ。竹が生えるのは4月から5月にかけてだ。つまり筍の季節というわけだ。

そこでゴールデンウィークに帰省してタケノコ狩りをすることにした。去年からはタケノコ狩りのついでに、筍やすでに成長してしまった若い竹を目につく限りすべて根絶やしにする作戦を始めた。それでも年末見に行くと、新たな竹が相当数生えていた。GW以降に土から顔をだす筍がそれだけあるということなのだろう。そこで今年は帰省を2週間遅らせ、筍の殲滅作戦を決行することにしたのだ。

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こんな感じで筍とは呼べなくなってしまったほど成長した竹があちらこちらに生えていた。これでも伯母が何度も山に入り、目に付く筍を片っ端から取ったばかりなのだ。

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この竹はすでに4メートルほどの高さがある。それでもまだ柔らかく、手で押すと簡単に折れる。さらにすでに10メートルほどに成長したものもある。さすがに手で押しても折れなくなるが、のこぎりで切ると簡単に切り倒すことができる。

このタイミングを逃して数ヶ月も経つと、10メートル以上に成長し、硬くなり、重くなる。チェーンソーで切ったとしても、これを運ぶのが大変になるのだ。

ということで、今年顔を出したばかりの若竹を殲滅し、小ぶりな筍を3つ拾って、午前中の作業を終了することにした。この日は今年最初の真夏日となり、場所によって光化学スモッグ注意報も出されたからだ。

伯母の家に戻って昼食。瀬戸内の魚を積んで行商する通称「魚屋さん」がちょうど来る日だった。伯母に連れられて見にいき、モンゴイカを一杯購入。一部を刺身にして、一部を塩焼きにした。伯母は刺身や塩焼きには手を出さず、残りのイカを炊いて食べていた。

昼の暑い時間は家で休む。外は30度でも農家の室内はエアコンなしでも涼しい。

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私が子供の頃からあった柱時計。もう動いていないが、そのままある。

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質素な座敷には岡山出身の総理・犬養毅の書がかけられている。これも子供の頃からあった。

「放情自娯」、(ほうじょうじご)と読むらしい。

意味をネットで調べると、「情懐を思うままにして自ら娯楽に供すること」と書いてあった。やはり、よくわからない。犬養は孫文とも親交があり、漢詩にも通じていた。中華民国との交渉によって満州事変を解決しようとしている最中に「5.15事件」で命を落とした。

この書がなぜ我が家にあったのか、私は知らない。

午後3時ごろ、再び山に登った。私はなぜかこの山林が好きだ。誰もいない道。ウグイスが鳴いていた。

会社を辞めた後、農業や林業に興味がある人たちを募って会員制の農業クラブを立ち上げるプランを以前考えたことがある。果たしてこの山をどうしたものか、夢と現実の狭間で気持ちは揺れ動くのだ。

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裏山の山頂からは山陽新幹線が見下ろせる。

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そして岡山市の中心部も一望できる。私の好きな場所だ。ここに山荘があったらどんなにいいだろう。見上げれば木々の緑が青空に映えて美しかった。

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切った若竹の始末を終えて、再び柿の木に挑む。

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悪戦苦闘の末、何とか柿の木の幹を切断した。昼休みの間に、ヤスリで刃を研いだおかげで午前中とは切れ味が違う。エンジンへの負荷も軽減されたようだ。

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それにしてもひどい切り方だ。将来この写真を見て素人ぶりを笑えるように写真を撮った。今度切る時には、もう少しうまく切れそうな予感がする。一度経験すると人間は少しは学習するものだ。この切り株は、59歳の私。果たして10年後にどこまで腕を上げられるか。

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農業は奥が深い。

サラリーマンあがりが道楽でやるのはなかなか難しそうだ。それでも、人生の後半戦に取り組むには、意味のある仕事だと思う。どうせなら楽しんで自然と接したいものだ。

犬養毅の「放情自娯」というのも、ひょっとするとそんな気持ちのことなのかもしれない。

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