姪の結婚

週末、姪の結婚式に出席した。

私の自慢の姪っこだ。

式の前日、岡山から上京する母親を迎えに東京駅に行った。

母は86歳。

一人で上京できるか心配だったが、意外に元気そうに新幹線から降りてきた。

父親が死んでから今年13回忌を迎える。

岡山には親戚が多いので一人暮らしと言っても心丈夫ではあるし、幸い健康に注意して元気に過ごしてくれているので息子としては助かっているが、さすがに長旅は身体にこたえるだろう。

結婚式が行われる福島県のいわき市まで一気に行くのは疲れるだろうと、東京で一泊して、せっかくの機会なので孫やひ孫の顔でも見てもらおうと計画した。

母は若い頃、東京で暮らしたことがある。

しかも、青山の超一等地だ。

結婚した当時、父親は農林省のノンキャリア役人として東京で暮らしていた。勤務地も官舎も南青山にあった。

そこは今、空き地となっている。

児童相談所などの複合施設が建設される計画だが、地元住民からの反対運動が起きニュースになった土地だ。

その空き地を母と一緒に見に行った。

地下鉄銀座線に乗ると、母親は懐かしそうに話した。

日本橋のデパートに子供服をよく見に行ったこと。お金がなかったので買えないから、気に入ったデザインの服を見つけると家に帰って自分で似たような服を仕立てたこと。

その服を着たのは私だ。

私は青山の官舎で生まれた。木造2階建。4畳半一間でトイレも台所も共用だった。窓ガラスはひび割れ、テープで目張りがしてあった。

お風呂は銭湯に行っていたのだが、その銭湯の場所は紀伊国屋の裏だった。

表参道の駅を降りると、母は懐かしそうに変わってしまった青山の街を歩いた。

母がいた頃はまだ前回の東京オリンピックの前で、青山通りの拡幅工事が行われていた。

皇太子と美智子さんの結婚式に日本中が湧き、仮御所から皇居に向かうため美智子さんが青山通りを通るのをよく見に行ったそうだ。

官舎の奥さんがたと一緒に青山通りに行き、警備のおまわりさんに「今日は美智子さんも通る?」と聞き、警官が「今日は皇太子さまだけ」と答えると、みんな「なーんだ」と言いながら帰ったんだと楽しそうに話した。

ちょうど私が生まれた年、東京タワーが完成した。官舎のトイレの窓から東京タワーが真正面に見えたんだそうだ。母にとって東京タワーは、官舎のトイレ掃除とセットで記憶されている。

空き地の隣にある小原流会館の地下に「ふーみん」という中国家庭料理のお店がある。ランチを食べたことがあり、気に入ったのでその店を今回予約した。

母と私たち夫婦に加え、長男家族4人と三男が集まった。

みんな好きなものを適当に頼んで食べた。母もみんなが注文したものを少しずつつまんだ。長男の子供たちも何度か岡山に遊びに行っているので、最初からリラックスして楽しい時間を過ごせた。

母が東京に住めば、こうした時間がもっと作れるだろうが、母には妹や義理の母や兄弟など気になる人たちが岡山にいる。一人暮らしが無理になるまでは、このままのペースで暮らしてもらうのがきっと母にとってもいいのだろうと考えているが、先々どうなるかは予想がつかない。

ホテルは銀座一丁目にとった。

「ホテルモントレ ラ・スールギンザ」。

東京駅に近いのが決め手で、ネットの写真を見て選んだ。母一人泊めるのも心配だったので、私たち夫婦も一緒に宿泊した。

結果的には、思ったよりも施設が老朽化していてメンテナンスも完璧ではないので、今時のホテルに比べると古い印象を受けた。

それでも妻は「悪くなかった」と言うので、まあこんなものだろうか。

翌朝、私も妻も早く目覚めてしまい、早朝の銀座の街を散歩した。

銀座に来ることは滅多にないが、妻は渋谷や新宿に比べて銀座が好きだと昔から言っている。だから、人があまりいない銀座の朝散歩も楽しかったようだ。

ホテルの朝食は、ビュッフェでなく、アメリカンブレックファーストだった。

スープとプレート料理とデザート。飲み物やパンはセルフサービスだ。

高齢の母には、ビュッフェよりもセットメニューの方がありがたいし、朝食はとても美味しかった。

朝食を済ませ、一休みしてから、タクシーで東京駅に向かう。

私たちが乗るのは、10時53分発の特急ひたち9号、いわき行きだ。

しばらくホームで時間を潰し、特急ひたちに乗り込んだ。

在来線の特急列車に乗るのは久しぶりだが、車両は思いのほか新しく、椅子がとても大きかった。

母にとって外泊はかなり久しぶりだったので、昨夜は何度も目が覚めたと若干疲れた表情で話した。

いわき駅は、復興予算のせいかどうかは知らないが新しくなっていた。

姪が用意してくれたタクシー券を使って駅から結婚式場に向かう。途中、心配した雨が降り出した。

母は昔から雨女として家族の中では認識されている。

私の次男が結婚した時など、4月だというのに雪が降った。

今回結婚する姪も雨女で、結婚式は絶対に雨だろうとみんな話していたが、やっぱりその予想は当たった。

式場は、いわき駅からタクシーで20−30分離れた「ララシャンスいわき」。

とても綺麗な結婚式場だった。

両家の親族紹介が終わり、いよいよ結婚式。

新郎は、福島の被災地出身で地元の役場で働いている。

姪は学生時代、復興ボランティアとして福島に通い、一年大学を休学して被災地で働き、卒業後内定していた会社を断って福島に移住することを決めた。

チャペルは、外の緑が見える、素敵なチャペルで行われた。

福島で活動する中で、姪は新郎に出会った。当初、福島行きに反対していた両親、すなわち私の弟夫婦を説得して、結婚にこぎつけたのは姪の強い意志の賜物なのだろう。

二人は、震災から9年目となる今年の3月11日午後2時46分に入籍した。

そして晴れて、この日、多くの人の前で結婚式をあげたのだ。

そして披露宴では、友人や親族ら多くの招待客がテーブルを埋めた。

イベント好きな新郎新婦の希望もあってディズニーランドのようなノリで式が始まった。

意外だったのは、弟がとても嬉しそうに、新郎側の親戚はもちろん、全てのお客さんにお酌して回っていたことだ。

そして、披露宴の演出も福島的だった。

まず第一は、乾杯のお酒が日本酒だったこと。新郎新婦はともに酒好きで、私の姪も日本酒好きを公言してはばからない。

そして、披露宴が始まると、新郎側の親戚の人たちがお酒を持って次々に私のテーブルにもやってきた。福島は金賞に輝く銘酒が全国一多い酒どころ。みんなお酒を勧めるのが礼儀と思っているようだ。

これには、お酒を全く飲めない妻は閉口し、私にも「あまり飲まないで」と釘をさす。でも、せっかく挨拶しに来てくれているのにお酒を受けないわけにもいかないだろう。

東京ではすっかり儀礼的になった結婚式だが、福島ではまだかつての宴席の雰囲気が色濃く残っているようだ。

かなり大量のお酒が消費されたようで、式次第とはあまり関係なく各所でみんなが盛り上がっている。そのため、披露宴の進行は遅々として進まず、私たちは式の途中で退出せざるを得ない状況になった。

東京行きの最終特急に乗るためには午後7時半には式場を出る必要があったからだ。

後から聞いた話では、披露宴は予定より1時間あまり長く、4時間以上続いたという。

新婦がお色直しに退場する際、新婦の祖母である母が花嫁の手を引いた。姪が大好きなおばあちゃんを先導役に指名したようだ。岡山からわざわざ出てきて大役を務めた母。私の子供たちの結婚式には出席していたが、弟の子供たちの結婚式は今回が初めてだったので、何としても出席してやりたいと言っていたが、これで無事親としての責任は果たしたと感じただろう。

新婦の妹のピアノ演奏に合わせ、弟が凶暴だった姉のエピソードを語るスピーチが式の最後に用意されていたが、残念ながら時間がなくて聞けなかった。

弟夫婦もホッとしただろう。涙もろい弟は予想に反して最後まで涙を見せなかったという。

会場には、Candle JUNEさん演出によるロウソクの演出も施された。

Candle JUNEさんは世界で活躍する日本のキャンドルアーティストで、広末涼子さんの旦那さんだ。

震災復興のため被災地でもキャンドルを灯す活動をしていて新郎新婦とも知り合った。

被災地でずっと活動してきたCandle JUNEさんの祝辞は、福島の人をリスペクトし励ますような暖かさに包まれていた。

やはり遠くで見ている人と、現場で活動している人では、発せられる言葉が違う。そんなことを感じた。

新郎新婦は今後も、被災地で復興の活動を続けることになる。

一人一人の力は限られていても、仲間を集め、継続的に取り組むことによって、少しずつ現実を変えることができるだろう。

私も微力ながら、何か、彼らの役に立てれば嬉しい、そう思いながら家路についた素敵な結婚式だった。

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