命日

昨日は、死んだ父の命日だった。

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79歳で突然、くも膜下出血で倒れた。朝普通に起きて、歯磨きをしていたら急に頭が痛くなった。最初は「大したことはない」と横になっていたが、急激に悪化し母が驚いて救急車を呼んだ。

3週間、病院の集中治療室にいた。一度も意識が戻ることはなかった。そろそろ次の病院を探さないといけないと話していた時、容態が急変し息をひきとった。

ノンキャリの国家公務員として生きた父。仕事よりも家庭を優先する人だった。

几帳面な人だった。統計の仕事をしていたこともあって、細かい奇麗な字で表を作るのが得意だった。

その反面、自分の意見をはっきり言うのが苦手な人だった。時々酔って大声で騒いだり、愚痴をこぼした。三人兄弟の末っ子で、メンタルは弱かった。実際、役所で面白くないこと、屈辱的なこともいろいろあったんだと今にして思う。

しかし、息子の立場から見ると決して格好いいオヤジではなかった。正直、少し馬鹿にしていた。中学高校時代の反抗期には父と直接話すこともほとんどなかった。父は息子たちのことを母に質問した。息子たちに直接聞こうとしなかった。

父は高卒だった。大学のことはよく分からない、息子たちにアドバイスしてやることができない、酔ってそんな言葉を吐いたこともあった。自分に自信がなかったんだろう。

それでも、息子たちの進学や就職が決まると誰よりも喜んだ。無邪気にはしゃいだ。今にして思うと、本当に心の優しい、本当にいい奴だったんだと思う。

そして、父の人生での一番の宝物は、母と結婚したことだった。母の若い頃の写真は、息子から見ても奇麗だ。母は結婚を機に上京し、青山のボロボロの官舎で父と暮らし始めた。4畳半一間、台所もトイレも共同だった。父はよく同僚たちを家に連れてきて、新妻を見せびらかした。4畳半の部屋で大勢で雑魚寝することも度々だったという。

そんな大好きな母と、老後は二人で静かに暮らした。60歳で定年を迎え、再就職を世話してくれる人もいたがそれを断って退職した。家計の足しにするために、自宅近くの宅配業者で早朝の仕分けのアルバイトを見つけ10年ほど通った。「身体を動かすと健康にもいい」と言っていた。アルバイトを終えると家に戻って朝食、その後はベランダで植物の手入れなどして過ごしていた。

公務員=天下りと思っていた私は、そんな父をちょっと見直した。格好いいと思った。

甘えん坊だった父にとって、母といる時間が何よりも居心地がよかったんだと思う。自分の着る服も母に決めてもらっていた。何かあると「ばあさん、ばあさん」と言いながら母を探した。本当に世話の焼けるオヤジだった。その代わり、生涯変わらず母のことを愛し続けただろうことは、息子の目からもはっきりと分かった。

そんな父が息を引き取ったのは、12月16日。

最愛の母との結婚記念日だった。

私は、父はあえてその日を選んで死んだんだと、今でも思っている。

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