イマジン

ジョン・レノンの名曲「イマジン」が「世紀を代表する歌」に選ばれたという。

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まずはそれを伝える読売新聞の記事を引用させていただく。

『 米音楽出版社協会は14日、ジョン・レノンが1971年に発表した「イマジン」を「世紀を代表する歌」に選出し、妻のオノ・ヨーコさん(84)を共作者に認定したと発表した。

 ビートルズ解散後のレノンの代表曲の作者は「レノン/オノ」と表記される。

 「イマジン(想像してみてほしい)」と繰り返し、平和を訴える歌詞はオノさんの発想とされる。80年にニューヨークで殺害されたレノンが生前のインタビューで「歌詞、曲の基本概念はヨーコから授かった」と語っていたことも認定の根拠となった。14日に開かれた同協会の式典にはオノさんも招かれ、決定に笑顔をみせた。

 元ビートルズのポール・マッカートニーさん(74)も2012年の英メディアでの対談で「『イマジン』のような歌は彼女がいなければ生まれなかった」と評価しており、作品発表から半世紀近くを経て、オノさんの貢献が正式に認められたことになる。』

オノ・ヨーコさんに出会い、ジョンは変わった。

アイドルから脱却し、より平和主義的でスピリチュアルなアーティストに進化していった。

その意味で、今回オノ・ヨーコさんが共作者と認定されたのはよかったと思う。

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少し恥ずかしい話だが、実はこの「イマジン」、私にとっては特別な曲だ。

今から35年前、大学のチャペルで挙げた私と妻のささやかな結婚式で「イマジン」を合唱した。それは私のこだわりだった。

大学を卒業したばかりの夏、私たちは結婚した。お金がまったくなかったので、妻が卒業した大学の古ぼけたチャペルを使わせてもらった。同期の中で最初の結婚だったため、みんなが手伝ってくれた。結婚式の看板を作ってくれたり、チャペルの掃除をしたり、さらには行きつけのスナックから食器やグラス類を貸してもらったりと、準備を随分手伝ってもらった。

バージンロードは妻がさらしの布を縫い合わせて自分で作った。そのさらしは、式後、生まれてくる赤ん坊のオムツとなった。参列者が集まりだした頃、新郎である私が汗だくになりながら、チャペルの通路にバージンロードを敷いた。笑ってしまうほど、手作りの結婚式だった。

田舎から、両親をはじめ歳をとった親族も来てくれた。あまりの手作りの結婚式にみんなビックリしていた。

そして結婚式本番。人前結婚式で牧師さんもいない。

参列者に歌の歌詞が配られる。ション・レノンの「イマジン」。

伴奏に合わせて英語の歌を歌う。当然、親族は誰も歌えず、呆然と立ちすくんだ。

「世界平和に貢献したい」それが私がテレビ局に入った動機だった。「イマジン」の歌詞には強い思い入れがあった。

今見ても、とても素敵なミュージックビデオだ。

そして結婚式から35年。世界ではまだ戦争がなくならないが、日本は一度も戦うことなくこの35年を過ごした。

テレビの力も多少は効果があったと私は信じている。

映像と情報が国境を越えて流れる状態が保たれることで、戦争の原因となる相互不信が多少なりとも和らげることができる。戦争の悲惨さもお茶の間に伝えることができる。大本営発表に国民が酔った戦前の日本とは大きく変わったと思っている。

ネットの発達とマスコミへの不信により、若者の間で好戦的な言動も強まっているという。ただ、私はネット上の発言が今の若者の声を代表しているとは思っていない。今の若者たちは非常に冷静に世の中を見ている。私たちの世代と比べても、欲や見栄が少ない。困った人たちを助けたいというボランティア精神も旺盛だ。

私は日本の若者たちに期待している。きっと身の丈にあった、いい国を作ってくれると信じている。

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SNSで世界中がつながる世界で何が起きるのか。まだわからないことが多い。しかし、第二次大戦前の時代に比べれば、私たちは圧倒的に多くの情報を得ることができる。その情報をどう活用するのか、それが人類の未来を決めていくのだろう。

ひょっとすると、ジョンが夢見た「イマジン」の世界が出現するかもしれない。

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