<吉祥寺図書館>ニュージーランド学会編「ニュージーランドTODAY」(2019年/日本/春風社)

年末年始、初めてニュージーランドを旅行するにあたり、「ニュージーランドTODAY」という本を読んでみた。

ニュージーランドといえば、今月9日、人気の観光地となっていたホワイト島で火山が噴火し、14人が犠牲になったばかりだ。

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赤道をはさんで日本の反対に位置するニュージーランド。

太平洋プレートとオーストラリアプレートの境界線にできた火山の島である。

この本はニュージーランドの様々な側面について紹介されているが、その最初の項目は、「海に沈んだ大陸ジーランディア」という見出しがつけられていた。

まったく知らない話だったので、引用しておこう。

現在のニュージーランドは、ゴンドワナと呼ばれた巨大な古大陸の一部である。ゴンドワナは、南半球のオーストラリア、南極、アフリカ、南米の大陸へと徐々に分裂し離れていった。

(中略)

国際的な地質学者のチームは、2017年、ニュージーランドは海に沈んだ大陸、ジーランディアと名付けられた大陸の高所部分であることを確認した。この大陸の総面積は約490万㎢で、インド亜大陸に匹敵する。ジーランディアを見えなくしているのは、この大陸の94%が水面下にあるからである。

(中略)

ジーランディアはおよそ8500万年前に、ゴンドワナの今は南極大陸となっている部分から分かれ、さらにその後オーストラリア大陸とも分離した。オーストラリアとジーランディアの間には、深い連続する海溝が存在している。

太平洋の西の端に位置するニュージーランドは、日本と極めて似た地理的条件を備え、日本と同じく火山・地震大国である。

第5項のタイトルは「津波に注意せよ」。

ここからも引用しておく。

昨今、ニュージーランド周辺地域の断層の動きに関する調査が活発化している。特にニュージーランド国内で注目を浴びる場所が、ヒクランギ海溝である。ヒクランギ海溝は北島東岸50〜80kmに位置しており、太平洋プレートがオーストラリアプレートの下側に滑り込む速度は最大年間6cmである。ヒクランギ海溝では過去7000年のうち、マグニチュード7.5以上の大地震が8−10回発生している。また、プレートの境界域でプレートがゆっくりすべる「スロースリップ」も起きている。

ヒクランギ海溝では最大でマグニチュード9の大地震を引き起こすほどのプレートの歪みが確認されている。またこのような大地震によって引き起こされる津波の高さは最大12m、地震発生から8−10分で海岸に到着するとされる。

このような津波に対処するためにニュージーランドでは防災・減災への取り組みが活発に進められている。ウェリントンでは津波避難ゾーン地図を配布し、インターネット上で公開している。加えて、津波が到達する地点を標識などで示すブルーライン・プロジェクトも進められている。

日本人にとっては珍しいことではないが、今回の火山災害も日本の御嶽山の事故に通じるものがある。

津波が到達すると予想される地点には道路に青い線が惹かれているというので、ニュージーランドを訪れた際には、この「ブルーライン」を探してみようと思う。

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ついでに言うと、ニュージーランドも雨が多く、河川の水量が豊富だと言う。

それを利用して総発電量の約58%を水力発電でまかなっているらしく、そこは日本との大きな違いである。日本も高度成長期には各地にダムを建設し水力発電の比率が高かったが、今では7.8%だそうだ。その一方で、石炭火力の比率は32%にまで増えていて、国際的な批判にさらされているのだ。

ニュージーランドは原発のない国である。「非核法」のよって原発の建設は不可能とされている。

現在エネルギーの8割は、水力、地熱、ガス火力で賄われている。だが、目標はさらに高い。

その他、風力発電、木材発電、バイオマス発電、潮力発電、太陽光発電など、再生可能エネルギー発電の開発が進められており、CO2排出をさらに減らし、早期にゼロ・エミッション(産業廃棄物をゼロとする計画)の達成を目標としている。アーダーン首相は2050年までにCO2ゼロ・エミッションを達成する過程の中で、35年までに水力・地熱・風力などの再生可能エネルギー発電を100%にする意向である。

地熱発電に関しては、ここ10年ほどの間に5基の発電所を稼働させたが、世界最大となるヌアワプルア地熱発電所の建設は住友商事が請け負い、富士電機のタービンが使われているそうだ。同じ火山国である日本では、技術がありながら地熱発電が一向に進まないのとは対照的である。

日本とニュージーランドでは経済規模が違うので、一概に比較することはできないが、温暖化対策が求められる中、ニュージーランドのエネルギー政策には参考になる点もあるのではないかと思う。

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続いては、住んでいる人たちの話に進む。

まずはお隣オーストラリアの先住民アボリジニとニュージーランドのマオリの違いについてだ。

アボリジニがアジア大陸から海を渡って、現在のオーストラリア大陸に到達したのは、今から少なくとも5万年以上前にさかのぼる。当時この両大陸を隔てる海は現在ほど広大ではなかった。アボリジニの祖先は島伝いに、粗末な丸木舟で南下してこの大陸に到達し、各地に分散していったと考えられる。ヨーロッパ人がこの大陸を「発見」するまで、彼らは小規模の集団に分かれて移動する最終狩猟生活を営み、300ほどの言語集団に分かれて生活していた。イギリスがシドニー湾を流刑地と定め、この地を植民地として開拓を始めたのは1788年のことである。優勢なイギリス人の進出に抵抗するすべを持たなかったアボリジニ社会は、一方的に破壊され壊滅的な打撃を受けた。

アボリジニが太平洋地域の最も古参の移住者であるのに対し、ニュージーランドのマオリは最も新参の移住者であり、彼らがアオテアロアと呼ばれるこの地に到来したのは、日本でいえば鎌倉時代である。マオリの故郷も元をただせばアジア大陸であるが、彼らは直接に南下してきたわけではない。かなり遅れてアジア大陸を出発した彼らの祖先は、なぜか東への進路を取り、西太平洋の島々ではすでに定住していた人々(いわゆるメラネシア人)を避けて海岸地域に住みながら、さらに東方を目指した。彼らの通過した後には、ラピタ式土器と呼ばれる独特の土器が残されている。

ハワイ、ラバヌイ(イースター島)、ニュージーランドを結ぶ太平洋の大きな三角形はポリネシアと呼ばれているが、こうして東漸した彼らはポリネシアの入り口に当たるトンガやサモアに到達する。一部はさらに東に進み、東ポリネシアのソシエテ諸島やマルケサス諸島に到着した。広大なポリネシア海域での人々の拡散は、非常に短期間に行われたためか、ポリネシア語の共通性は驚くほど高く、遠く離れたハワイやラパヌイでも共通の単語が多く存在する。

マオリがハワイキと呼ぶ彼らの故郷も、この東ポリネシアのマルケサス諸島、クック諸島、ソシエテ諸島のいずれかである。彼らの祖先は熱帯の小さな島から船出して、危険な荒海を渡る大航海の果てに、アオテアロアに安住の地を見出した。マオリ到着の正確な年代は不明であるが、12−13世紀ごろと想定され、14世紀以降には南北両島の各地に拡散している。

旧石器時代にアジア大陸を後にしたアボリジニが、採集狩猟生活にとどまっていたのに対し、ポリネシア人は農耕民である。マオリはまた戦いを好む勇ましい戦士でもあった。植民者から見れば、マオリは手強い相手であったろう。

ヨーロッパ人との接触によって、新たな軋轢の始まる中で、イギリス政府の代表者とマオリ首長らとの間に締結されたのが、1840年の「ワイタンギ条約」である。この条約には英語・マオリ語の用語の含意に差異があり、後にいろいろ問題が生じているが、曲がりなりにも先住民と植民者との間で、条約が結ばれたということは大きな意味があり、オーストラリアではまったく考えられないことであった。

多民族国家として知られるニュージーランドだが、イギリスを中心にヨーロッパ系住民が74%を占め、マオリ系住民は15%ほどだ。

イギリスは労働力として中国人やインド人を呼び込んだが、最近ではアジアからの移民が一段と増えていて、もうすぐマオリ系の住民の数を超えるとみられる。また、サモアなど南太平洋諸国からの移民も増えているという。

公用語は、英語、マオリ語、そして手話の3つだ。

イギリスの植民が進む中で、マオリ語は一時廃れてしまったが、1987年に「マオリ語法」が制定され公用語として認定された。さらに2006年には労働党政権によって「ニュージーランド手話法」が成立、手話も公用語と定めた。ちなみに、現在手話を公用語とする国は、ニュージーランドのほかに、スウェーデン、ドイツ、アイスランド、ジンバブエ、韓国。これも知らなかった事実だ。

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続いて、日本人にも関心が高い永住権の項目がある。第二次大戦前後から「来るものは拒まず」の姿勢で移民を積極的に受け入れてきたニュージーランドだが、21世紀に入って移民政策を転換、現在では永住権の取得が厳格化されている。

「永住権の取得とポイント制」という項目を引用しておく。

ニュージーランドで永住権を取得するには、その申請を行わなければならないが、それには「技能移民部門」「投資家部門」「起業家部門」「リタイアメント部門」の4つの部門がある。

1つ目の「技能移民部門」は、職務経験、現地企業での雇用経験、雇用保証の有無が基準となる。つまり、ニュージーランドに必要な技能を有する若く優秀な人材の受け入れを促進するためのものである。2つ目の「投資家部門」は、一般投資家、国際的投資家、専門投資家に分かれ、永住権取得にあたっては国際的投資家と専門投資家の2つを優遇する政策をとっている。3つ目の「起業家部門」は、ニュージーランドで起業する人材を受け入れるためのもので、とりわけ、IT系や輸出関連の貿易業、そして、理化学系の起業が優遇される。4つ目の「リタイアメント部門」は、一時的な退職者によるものと永住権を持つ子の親が申請できるものがある。一時的な退職者については、75万NZドルの投資で2年間の滞在が可能となり、その後も一定の条件をクリアすれば更新が可能となる。

永住権申請にあたっては、健康、犯罪歴、英語力などの条件をクリアする必要がある。その上で申請する際にはポイント制が採用されている。技能、職歴、資格、年齢、親族など各項目にわたって得点ポイントが細かく定められていて、総計160点以上になれば、永住権申請のためのEOIを移民局に提出することができる。

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続いては、政治である。

ニュージーランドは、正式にはエリザベス女王を君主にいただく王国であり、その範囲は、クック諸島やニウエ島、トケラウ諸島および南極のロス属領も含んでいるという。

現在首相と務めるアーダーン首相は、ニュージーランドでは3人目の女性首相である。現役首相が産休を取り、それを国民が受け入れるニュースは日本でも大きく取り上げられた。

ニュージーランドには新しいことに挑む開拓精神と、女性も平等の働き手として尊重する平等主義が存在する。その流れが、女性省を中心に、女性の活躍を支える社会制度に繋がっていることは間違いない。同省は女性の社会進出にあたり、出産する女性に対する産前産後休業と、男女を問わない育児休業の推進を行っている。また、仕事と家庭を両立しやすくするために、ワークライフバランスを軸にした労働環境の改善、公的分野での男女賃金格差是正や女性割合の上昇を目指す政策も展開している。

また、ニュージーランドは非核の国としても有名だ。

1987年に「ニュージーランド非核地帯・軍縮・軍備管理法」、いわゆる非核法が成立した。当時、日本でも注目されたロンギ首相は著書で次のように非核の理由を書いているという。

彼がオークランド大学法学部生だった時、ジョンストン島をはじめ南太平洋での大気圏内核実験が幾度となく行われ、そのたびに空は真っ赤になり、この世の終わりかと核兵器への拒否感が身に染み付いた。1978年東西ドイツの戦術核配備の問題で、ヨーロッパに反核運動が巻き起こった際に、ニュージーランドでも、反核運動にキリスト教会が合流し、教会の女性たちが花束とキスで国会議員を包囲した。また地方自治体の3分の2も非核宣言を行なった。そして国民党に一部も巻き込んで、非核法が成立したのであった。

国際政治の舞台ではアジア太平洋地域、とりわけ南太平洋諸国の平和と安定には伝統的に貢献をしてきた。例えば、ニュージーランドを含む13島嶼国、9地域が1985年に締結したラロトンガ条約が挙げられる。この条約は南太平洋の非核化を定めたもので、核兵器のみならず、すべての核、平和的目的の核爆発も認めていない。

意外なところでは、売買春をめぐる法制化にも驚かされた。

03年3月、長年にわたり犯罪とされてきた売買春行為を非犯罪化する法が、議会の上程された。これは一般議員提出の法案であり、投票は議員の自由意思に任されていたので通過は危ぶまれていたが、60対59という僅差で可決成立した。これまで禁じられてきた売買春行為を非犯罪化するに至った趣旨は、次のように説明されている。

  1. 性労働者の人権を保障
  2. 性労働者を搾取から保護
  3. 性労働者の福祉・職業上の安全・健康面での向上
  4. 公衆衛生に関連する環境整備
  5. 売春行為から若年子女の保護

つまりこれまで内密で行われてきた行為を法律で規定し、他の労働者と同等の権利保護を保障するというものである。

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最後に、ニュージーランドといえば忘れてはいけないのが、先日のラグビーワールドカップでも注目を集めたオールブラックスだ。

この本には、オールブラックスの創設時の話は書かれていなかったが、試合前に行われる「ハカ」については説明があった。

「カ・マテ、カ・マテ! カ・オラ、カ・オラ!」と、ニュージーランドのナショナル・ラグビーチームのオールブラックスが試合前に勇壮な踊りを演じることは有名である。これは通称「カ・マテ・ハカ」と呼ばれるハカの一つである。

カマテハカを含んだマオリの歌や踊りの多くは親族集団の祖先や歴史を表現している。この歌は、首都ウェリントン北方のポリルア周辺を用土としているヌガティ・トアの首長、テ・ラウパラハによって作られたと伝えられている。

カ・マテ・ハカは、テ・ラウパラハが敵に追われた際にサツマイモを貯蔵する穴に隠れて生き延びた時の緊張と、その穴を這い出し陽の光を浴びることができた喜びを歌っているそうだ。

歌詞の意味はこんな感じらしい。

死ぬのか!死ぬのか!
生きるのか!生きるのか!
死ぬのか!死ぬのか!
生きる!生きるぞ!

この毛深い人が
太陽の輝きをもたらした

さあ、登ろう、もう一歩。
登ろう、さらにもう一歩。
太陽は輝いている!

オールブラックスが最初にこのカマテハカを演じたのは、1905−06年のイギリスツアーの試合だと言われ、100年以上もこのハカを踊ってきたことになる。

どうせニュージーランドに行くならラグビーでも見たいものだが、あいにく年末年始はあちらは真夏、シーズンオフなのだ。

でも、この本をパラパラとめくるだけでも知らないことだらけ。

まあ、のんびりとニュージーランドの人たちの暮らしぶりを観察してこようと思う。

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