<吉祥寺残日録>気がつけば私の「林住期」ももう折り返しなのだ #200912

朝、顔を洗ってる時に、ふと気がついた。

今月で私は、62歳と6ヶ月。

それは「林住期」の折り返しを意味するということを・・・。

このブログを書き始めた頃、私は一冊の本に出会った。

五木寛之著「林住期」。

この本の中で五木さんは、50歳から75歳までを「林住期」と呼び、人生の黄金期だと定義した。

それまでに学び、働き、家族を養ってきたことは、すべて充実した林住期を過ごすための準備期間にすぎないと書いてあったのだ。

その時、私はすでに58歳。

林住期の只中にいた。

五木さんの本と出会った頃、私が何を感じていたのか当時のブログを読み返してみると、こんなことが書かれていた。

林住期突入から、はや8年が経った。五木氏が指摘している通り、確かに林住期は「人生のクライマックス」と言えなくもないと感じている。決して沸き上がるような高揚感がある訳ではないが居心地は悪くない。個人的には、現在の自分の状況を気に入っている。

もちろんニュースの現場を駆け回っていた時期の方が記憶は強烈で、皆からうらやましがられる恵まれたキャリアだったと思う。しかし今から思えば毎日分からない事だらけで自信もなく、現場でうまくやれるかいつも不安だった。

それに比べて今は余裕がある。心が常に平静である。仕事量も減り、プライベートも穏やかで、物事をじっくり考える時間があることがその要因かもしれない。いろいろな事態への対処や人間関係の整理も昔よりうまくなったのかもしれない。それとも自分の感情のごまかし方がうまくなったのか。

本を読みながら、潔く60歳で会社を辞め、自分の気持ちの赴くままに残りの人生を生きてみたいと思った。

吉祥寺@ブログ「林住期」

結果的には、60歳で会社を辞めることはできなかったが、「林住期」を意識することで私の心に大きな余裕が生まれたのは間違いない。

還暦を迎えた時、私はこんなことを書いていた。

私は明日、還暦を迎える。

つまり、今日は50代最後の日ということになる。

還暦というのは、昔であれば人生の大きな節目だったのだろう。60歳といえば、もう立派なおじいさんだった。何だかんだ悟ったような顔をしていなければいけなかった年頃だ。

でも我が事となると、思っていたよりも特段の感慨もない。今日も会社に行き、普通に仕事をしてきた。明日もまた、会社に行き、いつも通り仕事をこなすことになる。

確かに、今月一杯で36年間勤めた会社を定年退職することになるが、すでに関連会社に役員として出向中なので、とりあえずは来月以降も同じ仕事を続けることになっている。

それでも、社員証や健康保険証が変わったり、給与を払ってくれる会社が変更になるなど、多少の変化はある。今週、そうした転籍関係の書類を提出したところだ。今の会社にいつまで籍を置くのか、また別の会社に移ることになるのか、そのあたりは親会社の人事部で決められることになるのだろう。

還暦を迎え、そうした人生の変化が目の前に迫ると、寂しかったり、心がザワザワしたりするのかなと想像していたのだが、まったくそうした心の乱れはない。至って穏やか、驚くほど平穏だ。

どうしてだろう?

自分で分析するに、私は吉祥寺に引っ越し、このブログを書き始めた頃から、すでに定年後に向けた準備を始めていたからではないかと思っている。ブログを書く中で、あえて意識することもなく自分の心と向き合ってきた気がする。しかも、自分の興味の赴くままに旅に出る習慣もできてきた。

私はすでに第二の人生を歩き始めているのだ。

特に誰かに影響を与えようと画策しているわけではない。ただただ自分の興味関心に素直に生きる、それが私の目指す第二の人生だ。

こんなに穏やかな気持ちで還暦を迎えられたことを、心から感謝したい。

吉祥寺@ブログ「50代最後の日」

新型コロナに背中を押される形で、私は62歳の時に会社を辞めた。

それから毎日、空を眺めて暮らしている。

最近なぜか、昼ごはんの後に睡魔に襲われ昼寝することも多くなった。

こんなに呑気でいいのだろうかと思いながら、今のところは退屈することもなく楽しい林住期を過ごしている。

ひとつ残念なのは、頭の働きが若い頃に比べて格段に衰えていることを再認識したことだ。

たとえば、語学。

NHKラジオのアプリを使って気が向いたら英会話の番組を聴くように心掛けているのだが、ちっとも頭の中に残っている感覚がない。

本を読んでも、すぐに内容を忘れてしまう。

仕方がないので、記憶に留めたい事柄は書き留めるようにしているのだが、そうすると本を読むペースがものすごく遅くなり呆れるほど時間がかかってしまうのだ。

白内障の手術を受けたように、脳味噌も新しいものと交換できればいいのだが、そうもいくまい。

この中古品の脳味噌と折り合いをつけながら、林住期の後半戦を歩んでいくしかないのだ。

今朝ベランダに出ると、井の頭公園の背の高い木のてっぺんに、一羽のカラスが止まっているのに気づいた。

カラスが好きな人はあまりいないだろう。

あれがカモメやオオタカやコウノトリだったらいいのにと思いながら望遠で撮影したが、「孤高のカラス」も悪くないと感じている自分を同時に感じた。

黒いものを不吉と感じるのは長年にわたって刷り込まれた社会的な同調圧力のせいではないのか?

全米オープンテニスで黒人差別に抗議するマスクを着用して決勝まで勝ち進んだ大坂なおみ選手を「孤高のカラス」と同列に語るのは失礼だろうが、彼女の行動には社会に広がる「悪しき常識」を打ち破ろうとする強さと美しさを感じる。

林住期の後半戦、私も自分の中にある「悪しき常識」を疑うことを心がけ、微力ながら社会を良い方向に変えるためにできることをしていきたいと考えている。

とまあ、志だけは高いと思っているのだが、現実はどうか・・・?

今日は朝から雨が降ったり止んだりしていることもあり、その涼しさのせいなのか午前中から昼寝をしてしまった。

こんなことは初めてだ。

なんと自堕落な生活。

でも身体が求める睡眠は、素直に受け入れるしかあるまい。

こんなペースで日々を送っていると、75歳の時に果たしてどんな自分が待っているのか、ちょっと怖いような気もする。

でも同時に、楽しみでもあるのだ。

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