<きちたび>3泊4日ホーチミンの旅① 1925年開業の老舗ホテル「マジェスティック」でよみがえる若き日の記憶

三連休を利用してベトナムに行ってきた。ベトナム戦争ゆかりの場所を訪ねたりしたのだが、そもそもは妻が昔からベトナムに行ってみたいと言っていたことがきっかけだった。

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私は、バンコク支局勤務時代、3度ほどベトナムに行った、そんな気がする。

最初に行ったのは、1986年だった。

ただ、その時の記憶はかなりあやふやだ。当時報道カメラマンだった私は、記者が立てたスケジュールに沿って行動していたため、まだ当事者意識が足りなかったのだろう。

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そんなおぼろげな記憶の中で、比較的はっきりと覚えていたのが、ホテルだった。ハノイではトンニャット・ホテル、ホーチミンではマジェスティック・ホテルに泊まったと記憶していた。

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私は、ホーチミンのマジェスティック・ホテルを予約した。

マジェスティック・ホテルは、フランス植民地時代の1925年に完成したこの街有数の由緒ある高級ホテルだが、今も現役で営業していることがわかった。

せっかくベトナムに行くなら、マジェスティック・ホテルに泊まってみよう、と思った。30年前にタイムスリップする旅だ。

当時のアルバムを引っ張り出して記憶を喚起する。すると、ある疑問が浮上した。

アルバムには、ホーチミンで宿泊したホテルの名前が「クーロン・ホテル」とメモしてある。ホテルの窓から写した写真にはサイゴン川が流れていて、サイゴン川に面するマジェスティック・ホテルの記憶と重なるのだが、ネットで調べても「クーロン・ホテル」に関する情報はまったく得られなかった。

あのメモは間違いなのか?

そんな疑問を抱いたまま、私は妻を伴って30年ぶりにマジェスティック・ホテルのロビーに入った。

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そこは、記憶とはかなり違った空間になっていた。

1990年代に全面改装が行われたらしい。以前はもう少し落ち着いたいい意味でコロニアルな雰囲気をたたえたホテルだった気がするのだが、派手なステンドグラスなどが随所に施されちょっと下品になってしまったようだ。

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フロントの重厚なカウンターの上にも、色鮮やかな装飾が施されていた。

ただ、フロントの対応はとてもスムーズで、ほとんど待つこともなくチェックインができたのは、さすが5つ星ホテルといったところか・・・。

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部屋は、天井が高く広々とした落ち着いたツインルームだった。

白い壁と重厚感のあるウッドフロアがマッチした気持ちのいい部屋。

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私が選んだのは「コロニアルデラックス ツインルーム シティビュー」。

広さは35平方メートル、2人3泊朝食込みの料金は4万5000円ほどだった。

テレビではNHKをはじめ各国の国際放送が見られる。

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ベッドは硬めでとても寝心地がいい。

空調の効き具合も申し分なく、エアコンを付けっ放しにすると寒いぐらいだ。

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バスルームは大理石張りでとても広い。洗面台などの陶器はフランス製だ。

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ホテルのオリジナルタオルは、1日2回交換してくれるサービスの良さだ。

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部屋には小さなベランダが付いていて、3階(日本式の数え方だと4階)にある私たちの部屋からもサイゴン川を見ることができた。

「シティビュー」の私たちの部屋は、ホーチミン随一の繁華街ドンコイ通りに面しているため、窓を開け放つとオートバイの騒音がうるさい。ただ、二重窓を締め切っていると、外の喧騒が嘘のように遮断され、遮光カーテンを閉めれば夜が明けたこともまったく気づかないほど部屋が暗くなる。

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部屋に荷物を置き、エレベーターで5階の屋上に上がる。

そこは24時間営業のスナックバー「ブリーズ・スカイ・バー」になっていて、朝と晩にはビュッフェ形式の食事も食べられる。

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そこからは、サイゴン川が一望できる。

川の向こう側にそびえるのは、年内の完成を目指す81階建てのベトナム一の超高層ビル「ランドマーク81」だ。完成すれば、東南アジアで一番高いビルになるそうで、周囲には高層の商業ビルやホテル・マンションが整備されている。

30年前、当然こうしたビル群は存在しなかったけれど、屋上に上がってみて、やはりここに来たことがあるという記憶が蘇って来た。

当時は、オートバイではなく自転車が通りを埋め尽くす、もっと静かな時代だった。自分たちで勝手にホテルを予約することなど叶わず、情報省に取材ビザを申請しようやく許可が下りると宿も車も通訳も当局が用意する、そんな時代だった。

多くの場合、バンコクの記者団がまとめて招待されるプレスツアーという形での取材で、ここあジェスティック・ホテルが記者団の宿泊場所だった。

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私たちも朝食はこの「ブリーズ・スカイ・バー」でいただいた。

朝6時から10時まで供される朝食ビュッフェはなかなか魅力的だった。

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まずは麺のコーナー。

ベトナム名物のフォーももちろんあるが、ラーメンのような麺もある。

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フォーはお昼に食べる予定があったので、もう一つの麺を頼んだ。

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白い米麺が主流のベトナムだが、中華麺のようなものもある。

正確なことはわからないが、どうやら「ミー」というらしい。

そういえば30年前、初めてベトナムを訪れた頃には、フォーはハノイなど北部の食べ物であり、ホーチミンでは春雨のような「ミエン」が主流だった。今では南部でもフォーの専門店があふれていて南北の隔たりがかなり埋まって来ていることを食事からも感じた。

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お粥もとても美味しかったので、2日連続で食べてしまった。

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お粥に載せる佃煮的なトッピングが豊富でとても美味しい。

ホーチミンでは、何を食べてもそれほど外れることはなかったが、朝、旅人のお腹をやさしく満たしてくれるその味はぜひ皆さんにも試していただきたいと思った。

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そして様々な食べ物を少しずついただき、最後はやはり果物だ。

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パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、龍眼、スイカ、バナナ。

南国の味が、ズラリと並ぶ。わざわざ市場で果物を買ってこなくても、朝食のビュフェでたっぷりと味わえるのは私たち夫婦にとってはありがたい。

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朝靄にけぶる早朝のバルコニーでいただくマジェスティックの朝食は最高だ。

なるべくならまだ空いている6時台に来て、眺めのいい席を確保することをオススメする。

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もう一箇所、マジェスティックで気に入った場所がある。

中庭に設けられた小さなプールだ。

小さいが、深い。ほぼ全面足がつかない深さなので、泳ぐというよりも立ち泳ぎでプカプカ浮かんでいるのに適する。

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9月のホーチミンは雨季。気温は32−33℃程度で、日本と比べて特別暑いということもない。それでも、昼間街中を歩き回ってホテルに戻ると、やはりプールに飛び込みたくなる。

ここのプールがいいのは、静かでこじんまりしていること。建物に囲まれているため直射日光を気にせず、ベッドに横たわってゆっくりと本が読めることだ。

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近代的なホテルの屋上プールもいいが、こうしたクラシックホテルの中庭プールの方が、私のような年齢になると落ち着く。

どうせなら部屋も、プールを見下ろす中庭に面した部屋でもよかったと思えた。

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結局、日中ホテルにいた時間は、ほとんどこのプールサイドで過ごした。

そして発見もあった。

プールサイドに寝っ転がり、Wi-Fiをつないでスマホでマジェスティック・ホテルを検索した時のことだ。ウィキペディアには、「マジェスティック・ホテル」という項目があり、そこに「クーロン・ホテル」の謎を解く記述があったのだ。こんな一文だ。

『南北ベトナム統一後は一旦「Cửu Long」と改名されるも、その後名称を元に戻し引続き営業を行う。』

この「Cửu Long」が、私のアルバムのメモにあった「クーロン・ホテル」だったと推測される。

1975年の南北統一後、マジェスティックはクーロンに改名され、私が宿泊した1986年にも、おそらくクーロンの名前が残っていたのだろう。

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ウィキペディアにはもう一つ興味深い話が書かれていた。

マジェスティック・ホテルは第二次大戦中、日本軍の宿舎となり「日本ホテル」と呼ばれていたという話である。

『第二次世界大戦勃発後の1940年にフランス本土がドイツ軍に占領され、親ドイツのヴィシー政権が発足したことに伴い、ヴィシー政権側についたフランス領インドシナが1941年7月に日本軍による南部仏印進駐を受け日仏の共同統治となった後は、フランス植民地政府から日本政府に貸し出され、「日本ホテル」と改名され進駐した日本軍や政府関係者の宿舎となった。

1945年8月の終戦後にサイゴンを含むインドシナ一帯がフランスの単独統治に戻された事を受けて、再び「マジェスティック・ホテル」へと名称が戻された。』

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ロビーに飾られた古い白黒写真に「日本ホテル」の看板がかかっているのを発見したのは、このウィキペディアの記述を見た後のことだった。

このホテルは、ベトナムの激動の歴史をまさに体現しているのだ。

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ホテルの館内には、こんな絵画も飾られていた。おそらくは、フランス植民地時代を描いたものだろう。

1925年、この地にマジェスティック・ホテルを開業したのは、華僑の大富豪・黄一族だった。

野島和男著「観光コースでないサイゴン」という本にもこのホテルは登場する。

『1975年、黄一族はサイゴン解放の直前にパリへ移住している。彼らだけでなくベトナムで財をなした華僑は、その9割以上が海外に出国した。現在でも、パリにあるアパルトマンの家主は中国系ベトナム人であることが多いのはそのためだ。

サイゴン解放の3日前となる1975年4月27日の未明、サイゴン川の対岸から5発の122ミリロケット砲が発射された。そのうち1発はマジェスティックホテルの最上階に着弾した。最上階の8階は吹き飛び、7階の一部も損傷した。当時、外国人ジャーナリストが集まる宿としてこのホテルは有名で、開高健氏も103号室を定宿としていた。しかし、選曲が急変したこの時期に宿泊客はおらず、犠牲となったのは屋上で寝ていた守衛一人だけだった。現在、屋上階は改修されていて、サイゴン川を眺望できる半屋外のレストラン・バーとなっている。』

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また、私がバンコク時代愛読した元産経新聞記者で大宅壮一ノンフィクション賞も受賞したジャーナリストの近藤紘一さんもマジェスティックホテルでの思い出を書き残している。

それは亡くなった最初の奥さんとの思い出のホテルだった。

彼の著書『サイゴンのいちばん長い日』の中から、マジェスティック・ホテルの記述を引用してみる。

『パリへ向かう途中の夏の朝だった。私は、この同じホテルの、同じ窓際の席から、この対岸の風景をあかずに眺めた。

つい2、3日前のことのように思い出される。

私にとって、生まれて初めての外国での朝であった。

さえぎるものもない窓の向こうの広がりは、今と同じように光とのどかな色彩にあふれている。川は木立の間に見え隠れしながら、銀色に朝日を照り返し、幾重にも曲がりくねって、かすみの中にとけ込んでいる。あのときは遠くの方に何隻かの大型船が浮かんでいた。川の蛇行にしたがって、別々の方向に船首を向け、皆停泊しているように見えたが、じっと見つめていると、気づかぬほどの速度で動いていることがわかった。いずれも遠くの河口から、ホテルのすぐ右手のサイゴン港へ出入りする外国船らしかった。木立の向こうの見えない水面にそそり立つこれら大型船の姿は、まるで水田の中に突然現れた蜃気楼のように見えた。今はもう港に出入りする船の姿はない。ブンタオの河口からサイゴン近郊に至る両岸の湿地帯やマングローブの茂みは、すでに、あらかた北・革命政府軍の制圧下にある。

あの夏の朝、私は幸福だった。かたわらには前の妻がおり、そして私たちの目の前には、2年前の外国での自由な時間があった。妻はベランダに椅子を持ち出し、長い時間をかけて、川と対岸の景色を写生した。

すぐ先の上空を絶え間なくヘリコプターが往き来し、ときおり、2、3機そろって急降下をくり返していた。演習でも、パイロットのねむけざましでもなく、茂みにひそんだ革命軍ゲリラの掃討作戦と教えられた。そんなヘリコプターの姿や動きさえ、この明るく広大な風景の中では、とるにたらない点景とみえた。』

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近藤さんは、サイゴン特派員を経験しベトナム戦争の最後を見届ける。その過程で、ベトナム人女性と結婚、一般のベトナム市民の目を通して戦争の実相を描いてみせた。

本の中に、マジェスティック・ホテルにロケット弾が打ち込まれた日の記述もある。

『朝食を後まわしにして、700メートルほど先のマジェスティック・ホテルに行ってみる。フランス植民地時代からの最も格式高い堅牢なホテルである。

玄関口で警官が3人ピケをはっていたが、「バオチ(新聞)だ」と告げると、すぐ中に入れてくれた。エレベーターは動いていた。6階でおり、短い廊下を通って食堂に行き、目を疑った。広い室内は完全にぶざまなガラクタの物置きだ。川向こうから飛んできて、屋根を直撃したらしい。天井が半分ほど、内側にまくれ、広い青空がのぞいている。壁板ははがれ落ち、イスもテーブルもクズ鉄のようにひしゃげて、部屋の四隅になぎとばされていた。

ロケット砲弾の被害現場には、これまでに何回も行ったが、こんなに見事な命中ぶりは初めて見た。まったくおそるべき破壊力だ。』

近藤さんは、各国のジャーナリストが避難する中で、サイゴンに止まり首都の陥落を目撃した。文字通り、ジャーナリストは歴史の目撃者であった。

そして、あの時代のジャーナリズムは、権力ではなく市民の側からものを見ることを常とした。若かった私も、先輩からそう教えられたし、当然そうあるべきだと思っていた。

今のような権力に慮るような「忖度の報道」は、ジャーナリスト仲間の間でバカにされたものだ。

そんな時代に、近藤さんはあまりイデオロギー的にならず、自然体でありのままの市民を描いた。そこには戦争の中で生きる市井の人々の打算もあり、笑いもあり、たくましさもあった。私にとって近藤さんは目指すべきお手本だった。

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30年ぶりに訪れたマジェスティック・ホテル。

そこにいると、報道マンとして初心が蘇ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

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