孔子

井上靖の「孔子」を読む。正確に言うと、途中まで読んだ。きょう図書館に返さないといけない。続きはいずれまた読むことになるかもしれない。

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2500年前、春秋末期の乱世に生きた孔子。

故郷を離れ、14年にわたる亡命・遊説の旅をした孔子の姿を、架空の弟子が語る形で独自の解釈を与えてゆく。井上靖、最後の長編だ。

この中に、「天命」について架空の弟子が自らの解釈を語る場面がある。

「晩年、多勢の門下生の居る席で、子が自分は五十にして天命を知ったというお詞を、口にされたのを聞いたことがあると申しましたが、その子のお詞について、私は次のように解釈しております。

子は五十歳の時、この紊れに紊れた世の中を、自分の周辺から少しずつでもよくして行こうというお考えを、はっきりと天から与えられた使命として自覚され、改めてそれを御自分に課せられたかと思います。誰から頼まれたのでも、命じられたのでもない。自分が生を享けて、この世で為すことはこれしかないとお考えになったのでありましょう。

併し、天から与えられた仕事であるからといって、必ずしもそれを天が守ってくださるとはお考えにならなかったと思います。いつ思わぬ障害が起きるかも知れないし、いつ中道で倒れるかも知れぬ。大きい自然の摂理の中で生きている小さい人間のすることである。思いがけぬ障害が、思いがけぬ時にやって来ても、いっこうに不思議はない。だからと言って、己が天から与えられている使命に対して、いささかも努力を惜しんではいけない。そういう小さい人間の小さい努力が次々に重なって、初めて人間にとって倖せな、平和な時代が来るというものである。

子はこうお考えになっていたと思います」

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ほかにも、いくつか書き留めておきたい詞がある。

政治の眼目・要諦について問われ、孔子はこう答えた。

「近者説、遠者来。 近き者説(よろこ)び、遠き者来たる。 近い者が喜び懐き、その噂を聞いて、遠くも者が自然とやって来る。そのような政治ができたら、それが一番いいのではないでしょうか」

「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず」

「過ぎ行くものは、みな、この川の流れのごときものであろうか。昼も夜もとどまることはない。人の一生も、一つの時代も、人間が造る歴史も、次々に流れ、流れ、流れ降って行って、とどまるところを知らない」

「川の流れは、流れ、流れて、あの大海へと流れ込んでゆくではないか。それと同じように、人間が造ってゆく人間の歴史も、歴史の流れも亦、人間が太古から夢みている平和な社会の実現へと、いつかは繋がってゆくことであろう。繋がってゆかぬ筈はない」

「よし、自分は自分なりに、子のあとを歩かせて頂こう。 私も亦、自分の歩き方で、歩いていこうと思いました。 自分は亡き師が期待するような人間にはなれない。強い個性を持った優れた門弟たちとは異なって、なんの取り柄もない。併し、優しい子が“それでいい、それでいい”と庇っておっしゃってくださるような、そんな生き方ならできるに違いない。山に入って、小さい田畑を耕し、自分を汚さないで生きることにしよう。不幸な人間に会ったら優しく労り、飢えた難民を見たら、一緒に相談にのってやるぐらいの生き方はできるだろう」

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孔子のすごさはまだ今ひとつ理解できていないが、この先の人生を考えるヒントは潜んでいるように感じた。論語を少し読んでみようと思う。

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