インドとベトナム

夏休みもまだだというのに我が家ではお正月休みの話をしている。

これまでは元日に3人の息子家族たちが大集合するのが我が家の定番となっていたが、還暦も過ぎたので、正月休みも旅行に使おうと考えたのだ。妻も同意してくれた。

「で、お正月どこか行きたいところある?」と妻に聞いた。もう1ヶ月ほど前の話だ。

妻からは意外な答えが返ってきた。

インドかベトナム。

妻はどちらも行ったことがない。ただ超常識的な妻からインドという国名が出てくるとは、正直まったく予想もしていなかった。

インドは私が初めて行った海外であり、ベトナムはバンコク支局時代、何度か取材で訪れた。でももう30年以上前の話だ。発展が伝えられるアジアの国々がどんな変貌を遂げたのか、私も見てみたくなった。

さて、どちらに行くか?

とりあえず図書館で本を借りて検討することにした。

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インド関連で図書館にあったのが、女優・中谷美紀さんが書いた「インド旅行記3」。

彼女は北インド、南インドを回って2冊の本を書き、インド三部作の最後がこの東インド・西インド編だった。

私にとってインドとは、19歳の時に訪れたカルカッタ、現在のコルカタだ。

それは衝撃的な街だった。

町中に溢れかえる物乞い、路上生活者、らい病患者、麻薬売り。まぐろ市場のように中央駅の床で寝る多くの人々。ドアのないタクシー。そのタクシーに後から勝手に乗り込んで来て金も払わず自分の目的地に行くよう強要する警察官。釣り銭をちょろまかす郵便局員。道を聞くと絶対に「知らない」とは言わず平気な顔でデタラメを教えるインド人たち。

それは日本で育った若者の常識を根底から打ち砕くものすごい社会だった。

そんなコルカタの街を女優・中谷美紀は、こう書いていた。

『300年の歴史があるというだけあって、街並みそのものがアンティーク街のようで、可愛らしい。路面電車や地下鉄が走る一方で、原始的な人力車が存在するのもユニークな特徴である。階上のベランダからは洗ったばかりのサリーがだらりとぶら下がり、黄色いタクシーと水色のバスがひっきりなしに通り過ぎる。雑多で、何もかもがひしめいていて、埃っぽかったりもするのだけれど、街全体に愛嬌があって、ついつい惹かれてしまう。』

人によって同じ街の印象がこうも違うものなのか?

当時の私は文字通りの貧乏旅行、中谷さんはガイド付きのひとり旅だ。同じインドでもどんな旅をするかによって印象も違うのだということに気づいた。

インドに行くにはそれなりの覚悟が必要だと思っていた私の気持ちが少し軽くなった。しかも、中谷さんはコルカタなどさっさと通り過ぎ、ヒマラヤを望むシッキム州へと飛んで行く。インドといっても広いのだ。

 

本を読むうちに、ちょっとリッチなインド旅行をしてみたくなった。まだ行ったことのない商都ムンバイとフランシスコ・ザビエルが眠る世界遺産ゴアを候補地として選定した。

ムンバイで経済発展したインドの一面を見ること、海のシルクロードの要衝でかつてポルトガルの植民地だったゴアで日本にも関係する歴史に触れること、それが旅の目的となる。

 

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一方のベトナム。借りた本は下川裕治著「週末ベトナムでちょっと一服」。

元産経記者の経歴を持つバックパッカー的旅行作家だ。

下川さんは作家さんだけあって、「へぇ〜」と感心する記述も散りばめてある。たとえばベトナム料理の代表格「生春巻き」に関する「へぇ〜」だ。

『 この生春巻だが、十年ほど前のベトナムでは、なかなかみつからない料理のひとつだった。レストランに入ってもメニューに生春巻がなかったのだ。たまに市場で目にするのだが、路上で頰ばる料理のイメージはないから、日本人は生春巻の前で立ち尽くすことになった。

理由はベトナム料理の食べ方だった。メニューが多い料理店に入ると、肉か魚というメイン料理を注文することが多かった。すると竹で編んだバスケットに、たっぷりのハーブや野菜とライスペーパー、米からつくった麺などが入って出てくる。これはおかわり自由の、いってみれば基本セット。客はそのライスペーパーに、メイン料理やハーブ、麺などをくるんで食べるわけだ。これがいってみれば生春巻である。そういうものなのだ。

しかし海外では、この基本セットを出すことが難しい。特にハーブ類は、ベトナムで採れたものでなければあの味は出ない。そこでベトナムの市場で売られていた生春巻が、メニューに載る一品に昇格したように思う。もともと中国料理に、油で揚げた春巻があったから、説明も楽だったのだろう。どこの国で生まれたのかは知らない。しかし、ベトナム以外の国のベトナム料理屋では、メニューの最初の方に、必ずといっていいほど生春巻が載るようになった。

そのうちに、ホーチミンシティのレストランのメニューにも、生春巻が登場してくる。きっと何人もの客から、「生春巻はないの?」と訊かれたのに違いない。』

生春巻はベトナム発ではなかった。ちょっと衝撃的なお話だ。

もうひとつ「ベトナムコーヒー」の話も「へぇ〜」だった。

フランス人がベトナムに持ち込んだコーヒー。フランス人たちは多めの牛乳を入れ、カフェオレとして飲んでいた。しかし高温のベトナムでは牛乳の保存が難しかった。その代用として使われたのがコンデンスミルクだったという。

『 フランス人には不満が残っただろうが、ベトナム人はあの甘さも好んだ気がする。隠してフランスが持ち込んだコーヒーは、最後の部分でベトナム化が施され、濃くて甘いベトナムコーヒーが定着していったように思う。』

同じくフランス人が持ち込んだバケットも、唐辛子、酢漬け野菜、パクチーなどをはさみヌクマム(魚醤)をふりかけた「バインミー」というベトナム風サンドイッチに変えてしまった。

このベトナム風食文化を見たフランス人は、「最高級のコシヒカリにケチャップをかけて食べる場面を目にした日本人のような心境だろう」と下川氏は例えている。

 

こんな話を読んでいると、ベトナムにも行ってみたくなった。

ネットで少しホーチミンのことを調べてみると、まだ観光客が入れなかった時代に、私たち取材陣が宿泊したマジェスティック・ホテルが今も営業していることを知った。改装して随分きれいになっているようだ。

さらに私も取材した結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」の弟ドクさんに会えるオプショナルツアーもあるという。ホーチミンのツーズー病院で分離手術を受けたドクさんは、その後結婚し2人の子供の父親になった。すごいことだ。

若かりし日の記憶が次第に蘇り、経済発展したベトナムがどんな国になったのか、自分の目で確かめたい気持ちが湧いてきた。

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そうして検討の結果、正月休みはインドに行き、ムンバイとゴアを訪ねることにした。そして、9月の連休を利用してベトナムのホーチミンにも行ってみようと決めた。

妻も両方行くというので、早速2人分の飛行機を予約した。どちらも全日空の直行便が飛んでいて、欧米やハワイに比べると運賃もかなり安かった。

もともと9月には旧満州の瀋陽かハルピンに行きたいと思っていたのだが、これは来年にお預けだ。

かつてのバックパッカー旅行ではなく、中谷美紀さんのようなプチリッチなアジアの旅を私も体験してみようと思う。

旅のスタイルが変われば、見えるものも変わる。楽しみである。

 

<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。

 

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