<きちたび>3泊4日ウィーンの旅⑤ クリムト・シーレ・フンデルトヴァッサー 鬼才たちに触れる

特段の目的もなく降り立ったウィーン。どこに行こうか迷った時、頭に浮かんで来たのが、クリムトだった。

昔パリで暮らしていた時、アパートの汚い壁紙を隠すために買って来たポスターの一枚がクリムトの絵だった。その時は、クリムトの名前さえ知らず、ただその絵が気に入ってポスターを買ったのだが、果たしてどの絵だったのか、今でははっきり覚えていない。

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ウィーン到着の翌朝、路面電車D線に乗って妻と一緒に訪れたのは「ベルヴェデーレ宮殿」だった。

この宮殿は、オスマン・トルコからウィーンを救った英雄オイゲン公が建てた夏の離宮だ。

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世界で最も美しいバロック建築に数えられるベルヴェデーレ宮殿。

トルコとの戦いのほか、スペイン継承戦争、ポーランド継承戦争でもその手腕を発揮したオイゲン公は、その功績により莫大な財を成し、それを宮殿の建設や美術品の蒐集につぎ込んだ。

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しかし皮肉なことに、この宮殿に今展示されているのは、彼の死後に描かれた19〜20世紀のオーストリア絵画たち。

中でも、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの作品が世界中の人々を引き寄せているのだ。

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15ユーロの入場料を払い宮殿に入る。白いエントランスホールが美しい。

ベルヴェデーレ宮殿は、上宮と下宮があるが、有名な絵が展示されているのは上宮の方だ。

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階段を昇ると天井の高い広間がある。

「大理石の間」と呼ばれ、クリムトの絵画目当てに集まった人々の待合室となっている。

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鮮やかな天井画が彩るゴージャスな部屋は、まさにオイゲン公が心血を注いだものと推察されるが、集まった人たちはクリムト目当てなので大して関心を示さない。

人間というものはわがままなもので、天井画が目玉だと言われるとみんな揃って天井を見上げているのに、別の絵画が目当てだとちっとも別のものに関心を示さなくなる。特に時間がない観光客の場合は、お目当ての絵だけ見たらさっさと次へ行ってしまうのだ。

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それでは、世界最大といわれるクリムトのコレクションを見ていこう。

最初に目についたのが、「カルロスの衣装を身にまとった俳優ジョセフ・ルインスキー」。1895年の作品で、クリムト成熟期の代表作「愛 Liebe」と対をなす作品だそうだ。

主人公を描いた黒い部分を囲む、銀と金の装飾。特に、銀が渋い。

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「 Marie Kerner Von Marilaun as a Bride 」という1891年の作品のようだが、日本語名は調べられなかった。

花嫁の表情、そして額縁まで含めたトータルの美しさ。これも気になる作品だった。

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そして私も見たことのある絵が登場する。

有名な絵のまわりでは、多くの人がスマホをかざし写真を撮る。このあたり、日本より自由だ。今時、みんな写真を撮ってネットにあげるのが目的。その点、日本の美術館は遅れている。

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クリムトの代表作の一つ「ユディト  Ⅰ」。

描かれた女性は、聖書の「ユディト記」に登場する美しく豊かな未亡人ユディト。彼女の街を侵略した将軍の暗殺を狙い、酒宴に招かれた夜、酔いつぶれた将軍の組みを切り落とし街を救った。

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首を切り落とした瞬間を描いたユディトの絵は多く描かれているが、クリムトはとにかく官能的なユディト像を描き、その背後にドラマを感じさせた。

凄まじく訴えかけてくる絵である。

来年には、この絵が東京にやって来るそうだ。

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そして、ベルヴェデーレ宮殿最大の目玉、クリムトの傑作「接吻」。

ウィーンの土産物屋にもこの絵を拝借した土産物が山のように売られている。

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絵の前では、常時、誰かが記念撮影している。

写真を撮るのは自由だが、あまりに絵に近づきすぎて注意される人が後を絶たない。日本の美術館ではちょっと見られない光景だ。でも、おかげで私も写真を撮って、こうしてブログに利用できる。日本の「撮影禁止」は、一体何を守ろうとしているのだろうか?

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1907年から8年にかけて描かれた油絵で、クリムト自身と恋人のエミーリエ・フレーゲがモデルとされる。

この頃から金箔の使用量が増え始め、この「接吻」はいわゆるクリムトの「黄金の時代」の始まりを告げる作品となった。

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このほかにも、クリムトの作品は多く展示されている。

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「フリッツァ・リードラーの肖像」(1906年)

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「ソーニャ・クノップスの肖像」(1898年)

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「子を抱く母」(1910年)

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「シュロスカマーパークアベニュー」(1912年)

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「アッターゼー湖のシュロスカマー」(1910年)

クリムトは夏休みに、静かな環境を求めてアッター湖に頻繁に通ったということで、湖畔にはクリムトにちなんだセンターや小径が整備されているという。

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クリムトの素晴らしい作品を美術史博物館でも見た。

それは額縁に入った絵画ではない。博物館のエントランスホールを飾る壁画である。

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通常は高い位置にあって遠目でしか見られないクリムトの絵だが、今年は没後100年の節目ということで期間限定で「クリムト橋」と名付けられた特設の台が設置された。

この台に登ると、壁画を間近に見ることができる。

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エジプト・・・

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古代ギリシャ・・・

美術史博物館が扱う作品群を象徴するシンボルをクリムトらしい魅惑的な人物像で描いている。一人ひとりの人物がどれも魅力的だ。

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クリムトが美術工芸学校に入学した頃、ウィーンの街ではリンク大通りの巨大建築物の建設が続いていた。そしてクリムトもそうした建築物の外装デザインの仕事をする芸術家の仲間入りをすることからキャリアをスタートさせたのだ。

美術史博物館も、そうした時代に誕生した巨大建築物の一つだったのだ。

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クリムトはやはりリンク大通り沿いに建設されたウィーン大学の講堂用に、「哲学」「法学」「医学」の3点の天井画の注文をオーストリア政府から受ける。

しかし彼が描いた天井画は大学や政府から拒絶され、大きな論争を巻き起こした。

既存の美術館を批判し、「分離派」という新たなムーブメントを主導し、世紀末のウィーンを彩ったクリムトだが、1918年、ハプスブルク帝国が崩壊とともにこの世を去った。

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同じ1918年、もう一人の画家が亡くなった。

エゴン・シーレ。

クリムトは、30歳ほど年の離れた貧しいシーレの才能を高く評価し、生涯目をかけた。

上の作品は、「ライナー家の少年」(1910年)だ。

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「エドゥアルト・コスマック」(1910年)

シーレの絵は、クリムトの金に対し、いぶし銀のような存在感がある。

クリムトの支援を受けながらもゴッホにも強い影響を受け、独特の作風を築く。

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シーレの代表作「死と乙女」(1915年)

2016年には「エゴン・シーレ 死と乙女」という映画が制作され日本でも昨年上映された。観てみたいものだ。

 

クリムトとシーレ、2人の没後100年にウィーンを訪れることになったのも何かの縁だろう。これからも彼らは、私のお気に入りになりそうな気がする。

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ウィーンでもう一人、気になった鬼才がいる。

フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー。長い名前だ。

彼は画家ではない、建築家である。

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ウィーンの下町に突如現れる「フンベルトヴァッサーハウス」。

1986年に完成した公共住宅。彼が一躍注目された代表作である。

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色鮮やかな外壁。不思議な造形。樹木と一体となった建築物だ。

今でこそビルのテラスに木が生えているのも珍しくはないが、この建物が完成した時にはみんな度肝を抜かれた。

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フンデルトヴァッサーは「直線」を断固拒否し、曲線を多用した独自の様式を編み出した。

まるでジブリ映画に出てくるような建物だ。

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この建物を見るために多くの観光客がやってくるが、公共住宅としては現役。

今でも、ちゃんと人が暮らしているという。

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このフンデルトヴァッサーが設計したゴミ焼却場がウィーン郊外にある。

地下鉄4号線の駅を降りると、目の前に奇抜な建物がそびえていた。

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煙突に据えられた黄金の球が、朝日を浴びて輝いている。

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1992年完成のシュピッテラウ焼却場。

近くから見上げれば、ミロのような、岡本太郎のような・・・。

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裏側に回ると、また違ったデザインを見せてくれる。

画一性を排除した建物は、ぐるりと一周してみるといろんな顔を見せてくれる。

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そして、次から次へとゴミ収集車が走り込んでいく。

ここは美術館ではなく、ゴミ焼却場。本当に、現役なのだ。

実は、フンデルトヴァッサー作のゴミ焼却場は2001年に大阪にも作られたという。

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日本では、ゴッホやピカソやルノワール、やはりパリの人気が不動だ。

でも、ウィーンの鬼才たちはそうしたパリの王道とは一線を画した強烈な魅力を放っている。

美術に疎い私でも、強いインパクトを受けた美術巡りとなった。

 

<関連リンク>

3泊4日ウィーンの旅

①オーストリアで“オープン”について考えた

②トルコ軍による包囲戦の置き土産?ウィーン名物のカフェをめぐる

③偉大な作曲家が眠る墓地で「音楽の都」を感じる

④旧市街の朝散歩でハプスブルク家の歴史を味わう

⑤クリムト・シーレ・フンデルトヴァッサー 鬼才たちに触れる

⑥絶対オススメ!スロヴァキアの首都ブラチスラヴァへドナウを下る日帰り旅行

⑦ヒトラーはオーストリアで生まれ、ウィーンで育った

⑧私が利用したホテルと電車とスーパーマーケット

<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。



 

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