<きちたび>ソウル2日3日の旅④ 日本による「韓国併合」はどのように起きたのか

今回ソウルに行こうと思った理由の一つは、「韓国併合」の歴史に触れることだった。

韓国人の強烈な反日感情はどこから来るのか?

その原因を探る旅でもある。

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ソウルに降り立ったのは金浦空港。市街地のすぐ上を旅客機は降りて行く。

到着したのは午前11時過ぎだった。そのまま、江華島に向かうことにする。江華島はソウルの北西に浮かぶ島で、ここで起きた日朝間の事件がその後「韓国併合」にまで至る端緒となった。

インフォメーションデスクの女性に聞くと、本数は少ないが金浦空港から江華島に向かうバスがあり、一番早いバスは11時半に出るという。ちょうどいい。そのバスに乗るべく、指定された2番バス停で待つ。

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「60−5」というバスに乗れと言う。バス停に着いたのが11時15分。しかし、11時半になっても一向にバスは来ない。違う番号のバスは次々に来るのだが・・・。

結局12時まで待って、諦めた。

「地球の歩き方」に載っている江華島行きのバスに乗るため、地下鉄で「新村」という駅まで行くことにする。

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ソウルの地下鉄は日本とさして変わらない。券売機も日本語対応しているので、目的の駅を指定すると簡単に切符が買える。

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車内の様子も日本とあまり変わらない。途中の駅での乗り換えも特に迷うことはない。

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新村駅から徒歩2−3分。江華島行きのバスは3000番だ。

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10分も待たないうちにバスが来た。ここ新村駅が始発。客は私の他に1人しかいない。

料金は2500ウォン(約300円)。1万ウォン札で払おうとすると、運転手がダメだと言う。ICカードじゃないとダメなのかと思ったが、試しに持っている札を全部見せると、運転手は5000ウォン札を取って、100ウォンコイン25枚でお釣りをくれた。

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ソウル郊外の道は渋滞がひどい。70キロほどの道のりを1時間半以上かけてようやく江華島へとつながる江華大橋にたどり着いた。

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江華島の中心地には「江華山城」の一部が残されている。13世紀、モンゴル人の侵攻に対抗するため高麗の高宗の時代、この江華島に都を移した。この山城はその際に造られたもので、東西南北4つの大門を持つ。

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この島は昔から戦乱時に国王の避難地となった。島のあちらこちらに国防上の遺跡が残り、数々の戦禍を繰り抜けて来た。

19世紀にはフランス、アメリカに一時占領された。そして次にこの島にやって来たのが日本だった。

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ソウルから乗って来た3000番のバスが江華島総合バスターミナルに到着した。

ここでローカルバスに乗り継ぐ。

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目的地は草芝鎮(チョジジン)。「地球の歩き方」によると700番のバスが草芝鎮まで行くと書いてある。バスターミナルに止まっていたのは700−1番。700番はない。

運転手にガイドブックを見せながら、「ここに行くか?」と問うと行くと言う。料金は1300ウォン。バスはすぐに発車した。

江華島は韓国で5番目に大きな島。目的地の草芝鎮まで40分かかった。

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ここが目的地、草芝鎮の砲台である。1656年、首都ソウルを守るために築かれた。

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そして1875年、この砲台で日本と朝鮮の間で争いが起き、長年鎖国を守っていた朝鮮がついに国を開くことになる。

これこそ韓国・朝鮮にとって屈辱の歴史の始まりだった。

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この要塞は、愛国心教育の施設として1973年に再建されたという。入場ゲートもなく無料で入場できた。

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こじんまりとした要塞。中央に一基の古い大砲が置かれていた。

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事件は、この砲台からの発砲がきっかけだった。

1875年9月20日、日本海軍の雲揚号に向け砲撃が加えられた。これをきっかけに日本と朝鮮は交戦状態となり、日本軍は複数の砲台を攻撃、一時占領した。

江華島事件と呼ばれる。

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城壁に登り朝鮮半島と江華島を隔てる狭い海峡を眺める。

事件はどの場所で起きたのか? 何の詳しい説明もない。

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対岸は朝鮮半島、海峡には江華草芝大橋がかかる。砂浜が広がり、この海峡がかなり遠浅であることがうかがえる。

ただこの事件に至るまでには、明治維新で急速な西洋化を進める日本と頑なに鎖国を続ける朝鮮の間には様々な軋轢があった。そして江華島事件も、朝鮮側の攻撃を誘発すべく企図した計画的な挑発だったとする説が有力だという。

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この事件の収拾のため、翌1876年、全権大使黒田清隆と井上馨が江華島に乗り込む。そして2週間余りの交渉の末、日朝修好条規が締結された。

釜山、元山、仁川の開港を含む不平等条約だった。その後、朝鮮は他の列強からも同様の要求を突きつけられ、鎖国体制は崩壊した。

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江華島事件が起きたのは明治8年、黒船来航で日本中が大騒ぎした年からわずか20年あまりしか経っていない。この20年の間に、日本は攘夷から他国に開国を迫るまでに変貌を遂げたのだ。

欧米列強に先んじる形で朝鮮を開国したのが日本だという認識が私には欠けていた。韓国の歴史を知るうえで実に重要なポイントだが、多くの日本人は私同様、その事実を知らないのではないだろうか?

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さして見るものもないので、島の中心部まで戻って江華歴史博物館に行こうと考えた。

ところがである。

30分待ってもバスが来ない。

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あたりは何もない農村風景が広がり、冬の日はもう西に傾いている。江華島は高麗人参の産地としても知られる。

これはやばいかもしれない、と感じ始めた。江華草芝大橋のたもとを直進するバスが見えた。あそこまで歩けばバスが通るかもしれないと思い、歩いて橋のたもとのバス停にたどり着いた。一人の中年女性がバスを待っていた。ガイドブックに書かれた韓国語の地名を指差して、「ここに行きたい」とたずねた。女性は手で5番のバスだと教えてくれた。

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どうやらもうすぐ来るらしい。このバス停には電光掲示板が設置されていた。

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バスターミナルにたどり着いたのは、もう5時をだいぶ過ぎた頃だった。今から博物館を目指してももうすぐ閉まってしまうだろう。ソウルのホテルのチェックインも気になる。

このままソウルに戻ることにした。

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帰りは2階建バスだった。番号も3000番ではなく3000A番だという。

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江華島に夕日が沈む。江華島事件については改めてちゃんと調べてみようと思う。

ソウル新村駅までは1時間45分ほどかかった。

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ソウル市内にも、「韓国併合」の歴史を感じられる場所がある。

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それは韓流ドラマにもよく登場する李氏朝鮮時代の王宮である。

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中でも最も重要なのが「景福宮(キンボックン)」。

1時間に1回行われる守門将交代式のセレモニーは観光客に人気だ。

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景福宮は李王朝の創始者李成桂が1394年に建てた広大な王宮だ。しかし秀吉が朝鮮に兵を送った1592年の文禄の役の際、全焼してしまい、その後270年間復旧されないまま放置された。

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正殿となる勤政殿は韓国最大の木造建築物であり、前庭には官位順整列の石の標識が置かれている。ここで即位の礼など国の公式行事が執り行われた。

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勤政殿には王の玉座が置かれ、天井には黄金の龍が彫り込まれている。

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この景福宮が再建されたのが1867年。この時期にはおよそ500もの建物があったと言われる。

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その後、「甲午農民戦争」鎮圧のため派兵した日本と清の間で日清戦争が勃発。勝利した日本は、朝鮮から清の影響力を排除し、朝鮮を“独立”させて強制的に政治改革に乗り出す。さらに当時の王高宗の妃であった閔妃と対立し彼女を暗殺してしまう。1897年、当時の王高宗は日本の圧力から逃れるため景福宮を出て、徳寿宮で政務を執るようにようになった。

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こちらがその徳寿宮。ここは、歴史上2回宮殿として使われたが、いずれも原因を作ったのは日本だった。

1回目は秀吉の文禄・慶長の役の際、景福宮が消失し一時避難していた王宣祖が臨時の宮殿として使った。そして2回目は1897年。日清戦争や閔妃暗殺を受けてロシア大使館に避難していた高宗は「大韓帝国」を宣言、ここに戻り宮殿とした。

その後朝鮮での主導権を巡り日露戦争が勃発。ロシアを破った日本は朝鮮半島での絶対的優位を確保し、1905年には韓国総監府を設置、1907年高宗を強制退位させてしまう。

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ちなみに、高宗は退位後も亡くなるまでここ徳寿宮で暮らした。

そして日本による韓国併合が行われた1910年には、欧風建築の石造殿が完成した。なぜこんな建物ができたのかは、もう少し調べなければわからない。

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高宗を退位させた後、第2代大韓帝国皇帝に即位した純宗が宮殿として使ったのが昌徳宮である。もともとは李氏朝鮮の離宮だった。

そして1910年6月、「韓国併合ニ関スル条約」を締結。韓国併合ご、純宗は大日本帝国の王公族として初代李王を名乗った。

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昌徳宮には、李王の子で皇太子だった李垠と結婚した日本の元皇族、李方子が暮らした楽善齋という建物も残っていた。韓国併合後の「内鮮一体」のスローガンのもと政略結婚を強いられ、戦後は日本国籍を剥奪されて韓国で生きた方子。他の朝鮮風なカラフルな建物と違い、日本的なワビサビの趣のある建物を見ながら、日韓の狭間で激動の歴史を生きた方子の数奇な人生をもっと知りたいと思った。

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韓国併合後の1915年、日本は朝鮮総督府庁舎建設のため、景福宮の正門である光化門の撤去を決定した。

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植民地時代、この場所に総督府が建てられていた。

600年の歴史を持つ王宮を潰して建設された総督府。それは韓国の人たちにどんな感情を抱かせただろう。相手の立場に立って考えれば、容易に想像はつく。

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光化門は、元の美しい姿を取り戻すべく解体修理が行われ、韓国併合から100年となる2010年の8月15日に一般公開されたという。

「坂の上の雲」など日本ではちょっとポジティブに捉えられることも多い日清戦争、日露戦争も、原因は朝鮮半島をめぐる縄張り争いだった。その点を、今回の旅で改めて認識した。

豊臣秀吉による唐突な朝鮮出兵、そして明治の征韓論、日清日露の戦争、そして韓国併合。すべて日本が一方的に朝鮮半島で引き起こした惨禍である。

韓国の人たちの反日感情を理解するためには、もっともっと歴史を勉強する必要があることを痛感した。

 

 

 

 

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