<きちたび>世界遺産の巨大住居「客家の土楼」は戦乱を逃れ山奥に移り住んだ“平和の家”だった

APECとASEAN、相次いで開かれた2つの首脳会議で安倍総理は、中国の習近平国家主席、李克強首相とにこやかに会談した。

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明らかにこれまでとは違う中国側の対応。2期目に入り国内の権力基盤が固まった習近平氏は日本との関係改善に乗り出すゆとりができたということだろうか。

日本は中国と離れては生きていけない地政学的な関係にある。

私は、日中の関係改善を素直に歓迎したい。あの尖閣諸島の国有化問題は民主党政権下で起きた。元凶は当時の石原都知事だった。

安倍さんが総理に就任した後、習氏はなかなか会ってくれなかった。安倍さんは日本の原則を崩さず辛抱強く時期を待った。この中国との関係では、安倍さんはよく我慢したと私は評価している。

このまま一気に蜜月になるとは思わないが、隣国として最低限の対話ができる通常の関係に戻った意味は大きい。

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さて、そんな中国。先日、福建省に旅行した時の話を書きたい。アモイから山奥に向かって車で3時間。世界遺産にも指定されている「土楼」を見に行った。

今年9月、アモイでBRICSの首脳会議が開かれたのを前に土楼までの道路が整備されたという。以前は土の道をガタゴト走り、とても日帰りは不可能だった道が、今では綺麗な舗装道路に生まれ変わった。

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まず案内されたのは「福建土楼客家民俗文化村」と書かれた門。この先に土楼が集まった村がある。

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進むと金文字で「福建土楼永定景区」「洪坑遊客服務中心」と書かれた場違いな建物が現れる。まるでカジノのような建物。この辺りが中国の悪趣味なところだ。

ここで入場券を買う。80元(約1500円)だ。

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ゲートを抜け、のどかな田舎道をしばらく歩く。

土壁の家、水車・・・

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村のあちらこちらに柿が干してあった。この辺りは柿やザボン、バナナなど様々な果物が取れるという。

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今回、土楼を見るために私は珍しくアモイからの日帰りツアーに申し込んだ。日本語のガイドさんがつく高額ツアーだ。日帰りの土楼ツアー、中国語なら数百元であるが、日本語ツアーは1100元もした。

私の前を歩くのが、日本語ガイドの李さんだ。

あえて日本語ツアーに参加したのは、時間の節約もあるが、1日ぐらい日本語で中国人に質問したいと思ったからだ。土楼のことだけでなく、中国全般についていろいろ李さんに聞いてみた。中国の人たちが何を感じているのか、その一端に触れるのがこの日の目的でもある。

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これが土楼だ。

李さんが最初に案内した土楼は「振成楼」と呼ばれる洪坑土楼群を代表する大きな円楼だ。

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4階建ての二重円楼で、直径57.2m、高さは16mある。

その美しさから「土楼の王子」とも呼ばれる。

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振成楼は1912年から5年かけて作られた。清が滅び中華民国が建国された年、100年前の建築だ。

土楼には今も住民が住んでいるが、みんな「林」姓を名乗る一族だ。

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土楼の内部に入る。広場とステージのような場所が中心にある。

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広場を囲むようにテラスが配され、赤い提灯が飾られている。この広場で演芸が披露される際にはこのテラスが客席になるという。

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2009年には当時の胡錦濤総書記がこの土楼にやってきた。

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若き習近平氏の写真も飾られている。20年ほど前のものだ。

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内側の2階建ての円楼と外側の4階建ての円楼の間は石塀で8つに仕切られている。八卦思想に基づくものだが、防火の意味もある。

そして、ちょっとした庭もある。

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ここは食堂でもあり・・・

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浴室でもある。

今もここでは林一族の生活が営まれている。

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昔使った共同井戸があり・・・

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商店もある。

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日本でも有名な「鉄観音茶」はここ福建省で生まれた。今でも福建省の安渓は鉄観音茶の代表的な産地だ。

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かつて葉タバコを削るためのナイフ作りで財を成した林一族。土楼には今も昔のナイフ作りの道具が飾られていた。

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振成楼を出て、次の土楼に向かう途中、古木の下で二胡を弾く老人を見かけた。

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二胡好きの私はついつい老人に引き寄せられ小銭を投じた。「あの赤いのは何?」と李さんに聞くと「ただの観光客相手、何でもない」とつれない返事が返ってきた。

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道端ではカゴに入れられて売られる鴨。

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放し飼いにされる鶏たち。

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それにしても丸々と太った大きな鶏だ。

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赤いリボンで飾り付けられた土楼の庭先を通る。これは結婚式の飾り付けだそうだ。

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結婚式の飾り付けは中まで、赤一色だ。それはそれで美しい。

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こちらの土楼は四角い。方楼というタイプのようだ。

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次に案内されたのが「福裕楼」。「五鳳楼様式」と呼ばれる独特の形をした土楼だ。

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清代末期の1880年に振成楼と同じ林一族によって建てられた。

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古びた入り口。

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中も生活感がいっぱいだ。

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宿泊できる部屋もある。先ほどの振成楼も泊まれるらしい。

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ただし、豪華なホテルではない。

学生時代の貧乏旅行で泊まった安宿を思い出す。

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鶏を一羽、自然な感じで鷲掴みにしたおばさんがやってくる。

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おばさんは客に鶏を見せ、「これでいいか?」と確認している。客が「それでいい」と言うと・・・

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おもむろに庭で鶏をさばき出した。日本では見られなくなった生活がそこにはあった。

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狭い路地・・・

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子供たちが集まるよろず屋。昭和30年代生まれの私には少し懐かしさを覚える光景だ。

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鶏が葬られるのを目撃した後で、私たちも昼食だ。

李さん曰く「村一番のレストラン」に入った。出てきたお皿は・・・

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メニューもないので、何が何だかわからないが、次から次へとお皿が運ばれてきた。

あっという間にテーブルの上はお皿でいっぱいになった。

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李さんは運転手さんと別に食べるというので、ツアーに参加した私ともう一人の日本人の2人でこれだけの料理を食べることになった。

この日本人客は50過ぎの社長さんで金鉱山を開発する仕事をしているという。

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当然、食べきれるはずがない。でも中国では客が残すほどの料理を出すのが「おもてなし」なのだそうだ。きっと残った料理は誰かのお腹に入るのだろう。

今回の旅行で最も中国的な食事、一体いくらなのか気になるところだが、ツアー料金に含まれているのでわからなかった。

IMG_8789レストランの入り口の棚に気になる物体が並んでいた。

「これは一体何?」と聞くと、お茶だという。この辺りで獲れるザボンの中身をくりぬいて、中にお茶を詰める。そうすることでお茶に柑橘系の香りがうつるのだ。

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一回り小さなみかんを容器として使ったお茶も作られていた。

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さらに小さな新製品もあるというので、それをお土産として5個買うことにした。

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小さなミカンの中にお茶が詰まっている。そのままカップに入れてお湯を注ぐ。

帰国後飲んでみると、柑橘系の爽やかな香りが広がり、ミントティーのような爽快な味がした。

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食後、車で10分ほどのところにある別の土楼に移動した。

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「高北土楼群景区」。ここでも入場料50元を支払う。といってもツアー料金に含まれているので、チケット売り場の行列に並ばなくても済む。

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こちらの方が観光客が多い。土楼への道沿いには土産物屋が軒を連ねる。

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土楼の模型や蛇のおもちゃ。

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建設機械と並んでロケットランチャーのおもちゃも。これもお国柄ということだろう。

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参道の先に現れたのは福建省最大の土楼「承啓楼」だ。多くの観光客が入り口に群がる。外国人の姿は少なく、ほとんどは中国人観光客だ。

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直径73m、高さ16.4m。その規模と美しさから「土楼王」とも称される。清代の1709年、「江」一族によって建てられた。今も江一族の末裔が暮らす。

4階建ての土楼だが、1階、2階には窓がない。そもそも土楼とは、外敵から一族を守るための要塞でもあった。

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中は三重の円楼となっていて、観光客で混み合っていた。

どうやら、正面の門の下に一人ずつ立ち、記念撮影をしてもらっているらしい。

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5年ほど前までは観光客も円楼の上の階に上がることができたが、今では原則禁止となっている。承啓楼は上からの眺めが素晴らしいため、有料で記念写真を撮る商売を住民たちが始めたのだと李さんが説明してくれた。

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上から見るとこんな風に見えるようだ。確かに1枚欲しい写真ではある。

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承啓楼は、振成楼や福裕楼などとともに2008年、世界遺産に登録された。

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この土楼には400もの部屋がある。

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1階は台所や浴室・・・

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2階が倉庫で、3階、4階が居間や寝室として使われた。メゾネット住宅のような使い方だったようだ。

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円楼の中央部には商店が並び、かつて子供たちを教育した教室もあった。

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そして先祖を祀る祈りの場も必ず用意されている。

こうした土楼を築いた人たちは「客家(はっか)」と呼ばれる。中国には55もの少数民族が住んでいるが、客家は少数民族ではなく漢民族に属する。

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李さんも客家について詳しく説明してくれたが、正確を期すためウィキペディアの記述を引用させてもらう。

『そのルーツを辿ると古代中国(周から春秋戦国時代)の中原や中国東北部の王族の末裔であることが多い。歴史上、戦乱から逃れるため中原から南へと移動、定住を繰り返していった。移住先では原住民から見て“よそ者”であるため、客家と呼ばれ、原住民との軋轢も多かった。』

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春秋戦国時代といえば、孔子が生きた時代である。中原に小国が乱立し各地で戦争が続いた。この戦乱の時代、戦うことではなく一族で逃げることを選んだ人たちが土楼で祀られている。

平和を求めて移動を繰り返し、長い年月の末、山奥に暮らすようになった。

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見知らぬ土地では盗賊に襲われることや先住の人たちとの争いが起こった。そのため、一族がまとまって暮らし、要塞のような巨大住居を作るようになったのだ。

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客家の土楼には、「人が平和に暮らすためにはどうすればいいのか?」という古からの問いが込められているように感じた。

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このエリアにもいくつかの土楼が並んで建てられている。かつて冷戦時代、アメリカの軍事衛星が中国国内で大陸間弾道弾の秘密基地のような場所を発見したと騒ぎになったが、それがこれらの土楼だったと李さんが笑いながら話してくれた。

平和を求めて避難した人たちの自己防衛のための巨大住居が、宇宙から見ると巨大な軍事施設に見えたというのも皮肉な話だ。

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もともと高い位にあった客家の人たちは、山奥に暮らすようになった後も、その財産を子弟の教育に惜しみなくつぎ込んだという。教育こそが一族の未来を安定させる道と考えたのだろう。

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客家は海外にも進出し、華僑の3分の1は客家の人たちが占める。

そして現代社会でも、孫文、鄧小平のほか、シンガポール首相だったリー・クワンユーや台湾総統だった李登輝も客家の出身だという。

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戦乱を逃れ、教育によって一族の繁栄を願った客家。その生き方には学ぶところが多い。

 

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<参考情報>

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