100年前

突然、ひらめいた。大したことではない。

「100年前の出来事を調べ、ブログに書く」

そんな新しいシリーズを、このブログで始めてみようと思いたったのだ。

高校時代、世界史が得意科目だった。なぜか世界史だけは、常に学年のトップクラスだった。しかし、歴史が好きだったわけではない。単に当時は記憶力がよかっただけだ。

世界史の先生は、話がめちゃめちゃつまらない人だった。だから生徒にもまったく人気がなく、授業中もただ黙々と膨大な板書を続けた。私はなぜか、その先生の美しい整然とした板書が好きで、周りの生徒たちが机の上で寝ている中で、ひたすらノートにそれを書き写していた。歴史が好きなのではなく、その先生の板書が好きだったのだ。

言っておくが、私は決して真面目な生徒ではなかった。授業を抜け出して、友達とよく麻雀などをしていた。そんな私が、なぜか世界史だけ好きだったのだ。

教科書の隅に小さく書かれた固有名詞をひたすら覚えた。テストの前には、父親が役所から持ち帰ったA3ぐらいの用紙ももらい、それにびっしりと覚えるべきことを書き出した。そして声を出して暗唱する。中間テストの内容なら、用紙3枚ほどに収まる。それを映像で記憶するのだ。

例えば、「2枚目の右上にその名前はあった」と場所を割り出し、その前後に書かれている内容も含め、映像として思い出すようにするのだ。当時はそんな芸当ができた。

なので、毎回テストは90点以上だった。

しかし、歴史そのものに興味があったわけではないので、あっという間に忘れてしまった。そして、単なる暗記に過ぎないため、それぞれの事象が歴史的に持っていた意味や、他の事象との繋がりといった歴史を学ぶ上で最も大切な要素が完全に抜け落ちていた。

今、塩野七生さんの「ロードス島攻防記」という本を読んでいるのだが、十字軍、東ローマ帝国滅亡、宗教改革など懐かしい話が出て来ても、それの繋がりについて何も理解していないことを痛感する。所詮は大昔の他人事である。知らなくても何にも問題はない。

それでも、今も中東やヨーロッパで続く、キリスト教とイスラム教の対立はこうした長年の恨みの蓄積を知らない限り理解することはできない。そして、その時代、日本はどうだったのか? 中国はどうだったのか? 一国の歴史は他国にも影響を及ぼし、歴史はそれぞれ関連している。

トルコ人が、人海戦術と大砲の活用によってコンスタンティノープルを陥落させたことは、城の作り方を根底から変え、騎士の時代を終わらせる。オスマントルコは巨大帝国を誕生させる一方、地中海で苦杯を舐めた西欧諸国は新天地を求め、大海原に乗り出していく。そして、アジアにも帝国主義の時代が訪れるのだ。

だから、歴史をできるだけ世界規模で再確認してみたいという欲求が芽生えた。とはいえ、歴史はあまりに膨大でどこから手をつけていいのかわからない。

そこで、ひらめいたのである。毎年、100年前の世界について調べてみよう。そこには今の私たちの暮らしにもつながる何かが見つかるはずだ。日々のニュースでは伝えられない新しいものの見方も見つかるかもしれない。

そして、今年の100年前といえば、1917年。ヨーロッパでは第一次世界大戦が3年目に突入し、人類の歴史上前例のない数の人が死んでいた。そして、戦争当事者の一つロシア帝国で革命が起きたのが1917年だ。

二月革命で皇帝ニコラス2世を追放したボリシェヴィキは、十月革命の結果、世界初の社会主義国家を樹立した。その指導者がレーニンだった。

ロシア革命の結果、地球上に登場した社会主義はその後世界に革命を輸出し、階級闘争や東西冷戦といった20世紀の世界を作った。

連合国の一員として参戦した日本は、1918年にシベリア出兵、1919年には関東軍創設とアジアの軍事大国として国際社会で次第に地歩を築いていく。

まずは、1917年から18年にかけての日本と世界について、調べることから始めてみたいと思う。

果たして、どこまで続くかわからない。ひょっとすると、これが私の老後の趣味になるかもしれない。

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