少年老い易く学成り難し

通勤途上、地下鉄の駅で井上陽水さんのポスターが目に止まった。

「井上陽水 50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く学成り難し〜」

陽水も50周年か、とちょっと感慨深いものを感じつつ、別のことが気になった。

「少年老い易く学成り難し」という言葉だ。

このブログを書くようになり、還暦を過ぎてなおあまりに知らないことが多い自分に日々直面するようになったためだろう。

そこである疑問が浮かんだ。この言葉、そもそも誰の言葉なのだろう?

ウィキペディアで調べてみると、意外なことがわかった。

『このことわざの出典は朱熹(朱子)の「偶成」という漢詩だとされていた。

少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声

しかし、朱熹の詩文集にこの作品は見当たらない。そのことはかなり以前から問題になっていたが、平成年代に入ってから、近世以前のいくつかの詩文集に、ほぼ同じ内容の詩が、異なる題と作者名を伴って収録されていることが指摘されるようになった。』

これは、面白い。

誰の詩なのか、はっきりわかっていないというのである。それにもかかわらず、日本ではこの詩は朱子学の創始者・朱熹の作だと学校で教えてきたのだ。それはなぜか?

ウィキペディアには、こう書かれていた。

『これが朱熹の作品として登場するのは、明治時代の日本の漢文教科書からである。 この詩が百年近く朱熹の作として流布し、近年になって上記のような資料が発見されるようになったのは、それまで日本漢文、特に五山文学の研究が遅れていたことによる。この分野の研究の進展によって、今後更に新たな資料が発見される可能性も考えられる。』

江戸から明治にかけて、日本の知識層に朱子学は大きな影響を与えていた。富国強兵を進める明治政府の方針にこの詩はピタッときたのだろう。そのため、権威ある朱熹の詩として教えていたらしい。

ただ誰の詩であるとしても、時代を超えた人類普遍の真理を表現した見事な詩というしかない。いつの時代も、少年は老い易く、学は成り難いのである。

私の場合、もともと「学」に対して何の志も持たずに生きてきた。学よりも、行動や経験を大事にしてきた。大事にしてきたというよりも、そちらの方が好きだったと言った方が正確だろう。若い時から本を読むのが好きではなかった。

この歳になって、今更のように図書館に通い本を読むようになった。仕事で様々なセミナーを聴く機会も多くなった。知らないことを知ることの喜びを今になって知った気がする。

ただ、残念ながら若い頃に比べて、記憶が定着しない。聞いたことをすぐに忘れてしまう。

旅行のことなどはこのブログに書くことによって読み返すことができるようになった。

だったら、セミナーなどで聞いた話もこのブログに書き留めていれば、少しは思い起こすことができるかもしれない。

そこで、<日々是勉強>というシリーズを、このブログ上で始めようと思いたった。

所詮は、私の覚えのためなので、気楽に読み飛ばしていただければ、と考えている。

 

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